雪は聖夜に舞い降りる 2






街中にクリスマスソングが溢れ始める十二月中旬。
急な話であったが、特集記事を載せたいという雑誌の取材が上杉動物園に入った。
高耶が担当している仔虎たちも写真を撮られる事となり、かなり重くなって来た仔虎たちを両腕に抱える高耶は、ベンチが設置されている舎屋裏へと向かう。
ここ数日寒い日が続いていたが、今日は風も無く天気が良いからだろう。日当たりの良い場所に設置されたベンチはぽかぽかと暖かかった。
柔らかい冬の日差しを浴びながらベンチに腰掛ける高耶は、膝の上に乗せた仔虎たちの毛並みを手櫛で整える。
「大人しくしてろよ。可愛く撮ってもらわなきゃいけないんだからな」
大きくなってきた仔虎たちは、かなり活発だ。
初めて会うカメラマン相手に萎縮するどころか、はしゃいでしまう事が容易に想像出来てしまう高耶が、じゃれて来る仔虎たちにそう言い聞かせていた時。
(・・・?)
笑われたのだろうか。ベンチに座る高耶の背後で、誰かが小さく吹き出す気配がした。
誰だろうかと背後を振り返った高耶の視線の先。
「ごめんなさい。あまりにも可愛くて」
一つに束ねた長い髪を揺らす女性から親しそうに笑い掛けられた高耶は、誰だと、軽くではあったが睨み付けてしまっていた。
人見知りする高耶の悪い癖だ。
いきなり睨み付けられて怯むかと思われた女性は、だが、多少驚いた表情を浮かべたものの、すぐに柔らかな笑みを浮かべて見せる。
カジュアルなジャケットにスラリとした細めのパンツを身に纏い、モデルだと言われても納得するような美人だが、高耶の睨みにも動じないこの女性は、どうやらカメラマンらしい。
女性の片手に一眼レフの存在を見止めた高耶は、座っていたベンチから慌てて立ち上がる。
「こいつらの飼育係をしてる仰木高耶です。今日はよろしくお願いします」
知らなかったとはいえ、仔虎たちが世話になるカメラマンに向かって、かなり失礼な態度を取ってしまった。
謝罪の意味も込めて深々と頭を下げる高耶の目の前。
「橘出版の門脇綾子です。よろしくね」
差し出された片手と共に向けられた綾子の笑みは、気にしてないから気にするなと、言葉よりも雄弁に語ってくれた。




少し複雑な過去を持つ高耶が初対面の人物に対し、すぐに心を許す事は滅多に無い。
夜の上杉動物園で直江と初めて出会った際も、高耶の顔には終始仏頂面が浮かんでいた。
女性が相手だと特にそうだ。
妹以外の女性にあまり免疫の無い高耶は、女性に対してどう接して良いか分からないからだろう。初対面の女性を前にすると緊張し、つい表情が硬くなってしまう。
だが、綾子の前では違ったらしい。
美人であるにも関わらず、サバサバとした男勝りな性格らしい綾子の人当たりが良かったからだろう。それほど緊張する事も無く、無事に仔虎たちの写真撮影を終える事が出来た。
綾子の口車に乗せられ、仔虎たちだけでなく、高耶も一緒に撮られてしまったのは大きな誤算だったが、仔虎たちと写真を撮るなんて滅多に無い機会だ。仔虎たちとの写真は、高耶にとって大切な物になるだろう。
写真が出来上がったら送ると言ってくれていた綾子の言葉を思い出し、ふと小さく笑みを浮かべながら帰路に着く高耶は、いつものように直江のマンションへと向かう。
見上げるほど高い直江のマンションに、あと少しで到着するという時。
白い息を吐く高耶の視界に真っ赤なスポーツカーが滑り込み、重低音を響かせながらマンションのエントランス前に停車した。
(・・・見た事ない車だな・・・)
高耶が直江宅に通い始めて半年近くになるが、一度も見掛けた事の無い車だ。
最近引っ越して来たマンションの住民だろうか。
そんな事を思いながら歩く高耶の視線の先。
テールランプが目に眩しい車の助手席側から現れたのは、仕事帰りなのだろうか。スーツを身に纏った直江の姿だった。
それを見た高耶の足がピタリと止まり、漆黒の瞳が大きく見開かれる。
「助かった」
高耶が立つ場所から車内の様子は窺えない。
だが、鞄とコートを手にする直江が運転席側へとそう声を掛け、続いて聞こえて来た声で、直江を送って来た人物が誰なのか分かってしまう。
「ちょっと。送ってあげたんだから、お茶くらい飲ませてくれてもいいんじゃない?」
今日会ったばかりで忘れるはずも無いし、聞き間違えるはずも無い。声の主は綾子だ。
どうして直江と綾子が一緒に居るのかと動揺する高耶の耳に、直江の呆れたような声が聞こえて来る。
「お前が飲みたいのは、お茶じゃなくて酒だろう?それはまた今度だ」
「・・・絶対よ?約束」
念を押すように告げられた綾子の言葉を受けた直江の顔に、ふと小さく柔らかな笑みが浮かぶ。
「あぁ。とびきり旨い酒を取り寄せておく」
直江は、高耶の前では丁寧な口調を決して崩さない。
気が置けない関係である事を匂わせる二人の会話を聞き、高耶の胸はまるで、全力疾走でもしたかのように早鐘を打っていた。
直江に恋人は居ないと思い込んでいたが、そうではないのかもしれない。
走り去る車を見送っていた直江がマンションの中へと入っても、高耶はしばらくの間、その場から動く事が出来なかった。