雪は聖夜に舞い降りる 3






昨夜あまり良く眠れなかったからだろう。窓から差し込む朝日が目に眩しい。
ホワイトタイガー舎屋にある職員詰め所内の一角。今日の予定を確認しようと机に着く高耶は、周囲に気付かれないよう小さく欠伸を噛み殺す。
そんな高耶の背後。
「綾子さんって、橘出版唯一の女性カメラマンなんだろ?格好いいよなぁ」
昨日の取材の話題で盛り上がる同僚たちの会話の中で、綾子の名を耳にした高耶は、欠伸を噛み殺した事で潤む漆黒の瞳を僅かに眇めていた。
かなり人見知りする高耶ですら好印象を抱いたのだ。
綾子に好意を抱いた同僚は多いらしく、恋人は居るのだろうかと盛り上がる声を遠くに聞きながら、高耶は昨夜見た光景を脳裏に思い浮かべる。
恋人は居ないと思っていた直江に、綾子という親しい女性が居た。
あの後、向かいたがらない足を叱咤して直江宅へと行き、いつものように直江と食事を共にしたが、直江に綾子とはどういう知り合いかとは聞けなかった。
クリスマスイブに共に過ごすような相手は居ないと直江本人の口から聞いているが、イブの夜に食事を作りに行くのは止めた方が良いのかもしれない。
綾子が恋人という訳ではなくても、直江と共に過ごしたい女性は恐らくたくさん居る。
今年の夏に夕飯を共にするようになってからずっと、直江を独占しているような状態だったのだ。
直江は望んでいないのかもしれないが、クリスマスくらいは解放してやった方がきっと良い。
今は恋人が居なくても、クリスマスを切っ掛けに恋人が出来る可能性は充分あるのだから。
(・・・そうなったら、オレはお払い箱だな)
直江に恋人が出来れば、高耶が食事を作る必要は無くなるのだろう。
その事を少し淋しく思う高耶は、舎屋の掃除をするため、ふと小さく溜息を吐きながら座っていた椅子から立ち上がった。




沸騰する鍋から立ち昇る湯気で、乾燥していた肌が潤っていくのが分かる。
昨日今日と暖かい日が続いていたが、明日からまた寒波が到来すると、テレビの天気予報で言っていた。
―――もしかすると、ホワイトクリスマスになるかもしれません。
高耶の地元である松本では特に珍しくもない雪であるが、こちらでは滅多に見ない雪だ。週間天気予報を告げるキャスターが、どこか嬉しそうにそう言っていたのが印象的だった。
クリスマスまであまり時間が無い。それに、決めたら即行動するのが高耶だ。
「あのさ、直江」
いつものように直江宅へと食事を作りにやって来た高耶は、料理する手は休めないまま、リビングに居る直江へと声を掛ける。
「はい?」
すると、リビングに置かれたソファの一角。珍しく仕事を持ち帰っている直江が、テーブルに置いたノートパソコンから顔を上げた。
いざ直江に面と向かってみると少し言い出し辛い感があるが、もう決めた事だ。
「悪い。クリスマスイブの夜は作れなくなった」
直江に視線を向ける高耶がそう告げると、すぐさま、「どうしてですか」という言葉が直江から返って来た。
「どうしてって・・・」
直江との約束を反故にする事は決めたが、どうして反故にするのか、その理由までは考えていなかった。
いつもは穏やかな直江が怒ったような表情を浮かべている事と、何より、直江に食い下がられるとは思っていなかった高耶は動揺する。
「その・・・、急に仕事が入ったんだ。泊り込みになりそうでさ」
本当の理由は話せない。
咄嗟にそう口にすると、ありきたりな言い訳ではあったが、それで誤魔化されてくれたのだろう。
「・・・そう、ですか・・・」
硬かった直江の表情がふと和らぎ、代わりに、残念そうな笑みが小さく浮かんだ。
「仕事なら仕方ないですね」
思いも寄らない反応だ。
高耶と過ごすクリスマスイブを楽しみにしてくれていたのだろうか。とても残念だと、言葉よりも雄弁に語って来る直江の鳶色の瞳を見た高耶の漆黒の瞳が僅かに見開かれる。
「ドタキャンしてごめん・・・」
直江との約束を反故にしただけでなく、仕事が入ったと嘘まで吐いてしまった。
申し訳なさと気まずさを感じた高耶は、真っ直ぐに見つめて来る直江の瞳から逃れるように視線を逸らす。
すると、そんな高耶を見た直江の顔に浮かぶ笑みが深くなった。
「気にしないで下さい」
逸らしていた視線を戻した先。
そう言ってくれた直江の顔に浮かぶ表情は柔らかく、それを見た高耶は、少しの淋しさを感じながらもホッと胸を撫で下ろしていた。