支えてくれる暖かな手 2






足が完全に元に戻るのは難しいだろうと医者は言ったが、イルカは違った。
―――いつか必ず元に戻ります。諦めないで下さいね。
リハビリの際、しっかりと手を握って告げられるその言葉に、カカシは何度励まされた事だろう。
人の能力は未知数だ。奇跡は必ず起きる。
―――俺はそう信じているんです。
笑みを浮かべてそう告げるイルカの言葉が、カカシの支えであり、励みだった。
そんなイルカとの一対一のリハビリが続き、外がうだる様な暑さになる頃には、カカシは少しではあったが歩けるようになっていた。
「本当に凄いです。こんなに短期間でここまで回復された患者さんは、それほど居ませんよ」
リハビリ終了後、マットの上に足を投げ出して座ったカカシは、その側に膝を付いたイルカからそんな事を言われた。
嬉しそうな笑みを浮かべたイルカが、カカシのリハビリで少々疲れた足をいつものようにマッサージしてくれる。筋肉を揉み解す暖かいその手が、とても心地良い。
「リハビリは自分との戦いですから、途中で挫けてしまう方が多いんです。でも、カカシさんからは一度も泣き言を聞いた事がありません」
イルカの口から次々と零れる手放しの褒め言葉が少しだけ面映い。
「イルカ先生のお陰ですよ」
まだ汗が残るその顔に笑みを浮かべたカカシは、そう言ってイルカを見つめる瞳を柔らかく細めた。手元に視線を落としていたイルカが、カカシへと視線を向けてくる。
「あなたが見守ってくれているから、オレは頑張ろうと思えるし、頑張れるんです」
イルカを見つめたままカカシがそう告げると、それを聞いたイルカが僅かに目を見張った。
次の瞬間。
イルカの顔が、見た事が無い程に真っ赤に染まる。それを見たカカシの首が小さく傾ぐ。
「・・・イルカ先生?」
「いえ・・・っ。何でもありません・・・っ」
慌てたようにカカシから顔を逸らしたイルカが、手元に視線を戻してマッサージを再開する。少しではあったが、イルカのその手にいつもは無い躊躇いを感じたカカシは、再び小さく首を傾げていた。
照れているのかとも思ったが、その顔は羞恥というより何かに困惑している様子だ。
その後も、カカシがイルカへと手を伸ばすたび、イルカはその手を取る事に僅かに躊躇いを見せ、カカシはそれが少し気になった。




それから数日後。
いつものリハビリの時間にカカシを迎えに病室へとやって来たのは、イルカではなかった。
「こんにちは、はたけさん」
イルカと同じ淡い色合いの制服を着たその男性は、リハビリテーションで何度か見かけた顔だ。イルカと仲が良かったように記憶している。
ベッドの上。枕を背に上体を起こして愛読書を読んでいたカカシは、やってきた彼を見て手の中のそれをパタンと閉じた。
「あれ?イルカ先生は?」
風邪でも引いたのだろうかと心配になったカカシがそう尋ねてみると、車椅子の準備をしてくれている彼から思いも寄らない返事が返ってきた。
「担当が代わったんです。今日からは、おれがはたけさんの補助をさせて頂きますね」
「え・・・?」
小さく苦笑を浮かべてそう告げた彼のその言葉に、カカシは驚きにその瞳を見張っていた。
担当が代わったとはどういう事だ。イルカはそんな事、一言も言っていなかった。
誠実なイルカの事だ。何か事情があって代わるのであれば、事前に説明してくれそうなものを。
「何で担当が代わったの?」
こんなにも急に担当が代わったのには、何か特別な理由があるのかもしれない。そう思ったカカシが訊ねると、彼は話し辛い事なのか、少し躊躇いを見せた。
「何?」
彼をしっかり見据えて再度訊ねると、カカシの少し鋭くなった語気に気圧されたのだろう。彼がおずおずと口を開く。
「その・・・。詳しくは言わなかったんですが、イルカのやつ、はたけさんの補助はもう出来ないと・・・」
彼のその言葉にカカシは愕然とした。
もしかして、急に担当が代わったのはカカシが原因なのだろうか。カカシが何か、イルカの気に障ることでもしたのだろうか。
だが、いくら考えてもカカシには心当たりが全く無く、イルカの、カカシの補助はもう出来ないというその言葉に困惑してしまう。
今日まで、イルカとは上手くやっているとカカシは思っていた。らしくもなく頑張り、あんなに褒められもしたではないか。
イルカだって、カカシの頑張りを嬉しそうに見守ってくれていたのに。
一体自分は、イルカに何をしたのだろう。
カカシがきつく眉根を寄せて考え込んでいると、それに気付いた彼が慌てたように声を掛けてきた。
「あのっ、あいつ、はたけさんが悪い訳じゃないって言ってました!悪いのは俺だって・・・。あいつ、何かしたんですか・・・?」
イルカの友人なのだろう。彼に恐る恐るそう訊ねられ、カカシは「いや」と首を振った。
「イルカ先生は何も悪い事してないよ。凄く良くしてくれてた・・・」
「じゃあ何で・・・」
彼が小さく呟く。それはカカシの方が聞きたかった。
急に担当を代わりたいと言い出したイルカの気持ちが分からない。それに、カカシに対し何故か罪悪感を感じているらしいイルカと、キチンと話をしなければと思った。
「イルカ先生はどこに居るの?会ってちゃんと話がしたい」
カカシがそう言うと、彼は困ったように俯いてしまった。
「それが・・・。しばらく頭を冷やしたいって、あいつ、有休を取ってるんです・・・」
「・・・っ」
それを聞いたカカシは言葉を失ってしまった。
イルカに拒絶されているという事だろうか。休みを取られてしまうと、病院から出られないカカシはイルカに会いに行く事は出来ない。
イルカに会いたくないと言われている様に思え、カカシはそれ以上何も言う事が出来なかった。
そんなカカシへと、彼が気遣わしそうに声を掛けてくる。
「あの、イルカに伝えましょうか・・・?はたけさんがちゃんと話したいって言ってたって」
「・・・ん、お願いできる?」
小さく笑みを浮かべてそう告げると、彼は「分かりました」と快諾してくれた。
「それじゃあ、リハビリに行きましょうか」
彼にそう促され、カカシは少しだけ迷ったが一つ頷いた。
本当はそんな気分では到底ない。だが、リハビリは毎日の積み重ねが大切だとイルカは言っていた。その言葉を大切にしたかった。
カカシの身体を支えてくれる彼の身体に腕を回す。途端に感じる違和感に、カカシは僅かに瞳を眇めていた。
イルカのきめ細やかな補助に慣れてしまっているからだろうか。イルカ以外の人間に補助される事に違和感を感じてしまう。
彼が嫌なわけではない。ただ、違うと思った。
匂いが違う。体温が違う。カカシの身体を支えるタイミングが違う。
その違和感はリハビリ中もずっと続き、いつもは短く感じるリハビリの時間が、例えようも無く長く感じた。