時を越えて 3





サクモは既にこの世に居ない人物だ。
明言は避けたが、サクモもその事には薄々気付いているのだろう。イルカやカカシに関する事をいくつか訊ねられたが、里の事やサクモ自身の事に関しては一切訊ねられなかった。
大蛇丸による木の葉崩しで三代目火影が死去した事も、十数年前の九尾襲来も、サクモがどんな最期を迎えたのかも、サクモは知らない事実だ。
過去の人間が未来の事を知るのはあまり良くない。
カカシに良く似た相貌を持っている事もあり、外出は控えた方がいいだろうと提言すると、サクモはイルカのその言葉を素直に受け入れてくれた。
自然とイルカがサクモの世話をする事となり、仕事を終えたイルカは、昨夜から降り続いている雨の中、真っ直ぐ商店街へと向かった。二人分の食材を買い込み、自分の家ではなくカカシの生家へと急ぐ。
作物の成長を促す恵みの雨が降りしきる中、辿り着いた里外れにあるカカシの生家は、いつもと変わらぬ佇まいでイルカを出迎えてくれた。
中にサクモが居るはずだが、この家には誰も住んでいない事になっている。
呼び鈴を鳴らすのも不自然だろうと、ズボンのポケットから合鍵を取り出したイルカは、施錠されていた玄関の鍵を開けた。扉を開け、差していた傘を閉じながら中へと入る。
「イルカです。お邪魔します」
そうしてサンダルを脱ぐイルカが奥へと声を掛けると、気配で気付いていたのだろう。書斎へと続く廊下の角から、昨日イルカが出しておいたカカシの着物を身に纏ったサクモがすぐに顔を覗かせた。イルカの姿を見止めた深蒼の双眸が柔らかく細められる。
「おかえり」
歩み寄ってくるサクモから、カカシに良く似た声と相貌でそう告げられたイルカの漆黒の瞳が僅かに見開かれ、続いて面映そうに細められる。
「・・・ただいま帰りました」
何気なく告げられた挨拶なのだろうが、「おかえり」というその言葉が、サクモに歓迎されているようで嬉しかった。




雨が降っているからだろう。冬眠から目覚めたばかりの蛙が嬉しそうに鳴いている。
開け放たれたままの障子の向こう。居間から窺える庭では、冬の間枯れたように葉を落としていた紫陽花が、柔らかな新芽を芽吹かせ始めていた。
サクモはカカシの父親だ。
カカシと好みは似ているのではないかと思ったが、イルカのその読みは当たったらしい。
「・・・ん、美味い」
二人分の食事が並べられた重厚な食卓の上。
暖かな湯気を立ち昇らせる茄子の味噌汁にさっそく手を伸ばし、それを口に含んだサクモから零れ落ちたその言葉を聞いたイルカは、内心ホッと安堵の溜息を吐いていた。小さく笑みを浮かべ、自らも茄子の味噌汁に口を付ける。
「・・・今日は一日何をしていたんですか?」
外出を控えるようにと言われ、一人で暇を持て余していたのではないだろうか。
そう思ったイルカがそう訊ねてみると、手にした箸で秋刀魚の塩焼きを綺麗に解すサクモは、視線を上げないまま「書斎に篭っていたよ」と返した。
「元の時代に戻る方法が無いだろうかと思ってね」
続けられたその言葉を聞いたイルカの箸を持つ手が止まる。
この家の書斎には、サクモが残した大量の書籍や巻物が存在する。
「何か分かりましたか?」
期待に身を乗り出すイルカがそう訊ねてみると、解した秋刀魚の身を口元に運んでいたサクモの顔に苦笑が浮かんだ。何も分からなかったのか首を振られ、それを見たイルカは僅かに落胆する。
里一番の蔵書を誇る木の葉図書館へ行けば何か分かるかもしれないが、木の葉図書館は里の歴史が詰まっている場所でもある。
唯一の手掛かりがあるかもしれない場所だが、図書館へサクモを連れて行くのは避けた方がいいだろう。
そんな事を考えていると、秋刀魚を咀嚼し終わったらしいサクモから「君は?」と訊ねられた。
「え?」
「君は何をしていたのかな?」
小さく首を傾げるサクモからそう訊ねられたイルカは、あぁと小さく笑みを浮かべる。
―――今日は何してたの?イルカ先生。
さすがは親子と言った所だろうか。顔を合わせれば何かとイルカの事を聞きたがるカカシと同じ質問をされ、イルカは少し嬉しくなる。
「受付所に入る事もあるんですが、今日は一日アカデミーに居ました」
イルカが内勤である事は昨日のうちに説明してあるが、アカデミー教師をしている事までは説明していなかった。
その事を思い出したイルカは、見つめて来るサクモから僅かに視線を逸らす。
「その・・・、教師をしているんです。まだまだ未熟なんですが」
白い牙と謳われた程の優れた忍であるサクモに、教師をしていると告げるのは少々恥ずかしい。
僅かに俯くイルカが鼻頭の傷を掻きながらそう説明すると、ふと柔らかな笑みを浮かべるサクモから「そんな事はない」と返された。
「私の事を自分の事のように考えてくれているだろう?それに、火影に引き渡す事も出来たのに私との約束を守って誰にも言わず、こうして面倒を見てくれているじゃないか。忍としては少々甘い所があるが、君が良い先生なのだろう事は会って間もない私でも分かるよ」
優しい笑みを浮かべるサクモから、手放しに近い褒められ方をしたイルカの漆黒の瞳が僅かに見開かれ、その頬が徐々に染まっていく。
大人になってから褒められる事なんて殆ど無かったのだ。これまでの頑張りを認められたようで嬉しい。
「・・・ありがとうございます」
面映い笑みを小さく浮かべて感謝の言葉を告げると、サクモの顔に浮かんでいた笑みが深さを増した。
「・・・君は素直だね。あの気難しいカカシが懐くはずだ」
銀髪を揺らして小さく首を傾げるサクモから、そんな思いも寄らない事を告げられたイルカの顔が赤く染まる。
僅かに顔を俯かせながら、そんな事は無いと小さく首を振って見せるイルカは、嬉しさから緩もうとする顔を抑えるのに苦労した。