時を越えて 5





イルカの誕生日を明日に控えた五月の終わり。
午前中の授業を終えたイルカが受付所のカウンターに着いた所で、イルカの誕生日までには戻って来ると言ってくれていたカカシの部隊が、敵忍に襲撃されたという一報が受付所に入って来た。
「状況を説明しろ!」
漆黒の瞳を大きく見開くイルカの隣。椅子を鳴らして立ち上がった綱手の声が遠い。
「負傷者が多数出ている模様です!部隊長であるはたけ上忍の安否も不明だと・・・っ」
「・・・っ」
受付所へと転がり込むようにやって来たばかりで、未だ荒い息を吐く同僚の口から出て来たカカシの名。それを聞いたイルカの息が小さく呑み込まれる。
「イルカ」
至近距離から名を呼ばれ、イルカは半ば反射的に隣に立つ綱手を見上げた。
「救援部隊を出す。今現在、里に居る者たちで最良の医療班を編成しろ。大至急だ!」
頼もしくも力強い綱手の瞳。それを見上げるイルカは、その奥歯をぐっと噛み締める。
「はい・・・ッ!」
イルカが今、カカシの為に出来る事は、与えられた仕事をキッチリとこなす事しかない。
救援部隊を出すという綱手の言葉を受け、一つ大きく頷いたイルカは、座っていた椅子から急いで立ち上がる。
(・・・どうか無事で・・・っ)
喧騒に包まれる受付所内。情報収集と班編成に追われるイルカは、ただカカシと皆の無事だけを祈っていた。




予想していたとはいえ、随分と遅くなってしまった。
カカシの元へ救援部隊を送り出し、一息吐いた際。いつも夕飯を共にするサクモに、今日は行けそうにも無いと式を飛ばしておいたが、サクモはちゃんと食べただろうか。
そんな事を考えながら自宅アパートに辿り着いたイルカは、小さく溜息を吐きながら二階へと続く古びた階段を登る。
その登り切った先。
「・・・おかえり、イルカ先生」
出会った時と同じ着物を身に纏い、自宅玄関の前に佇むサクモの姿を見止めたイルカは、その漆黒の瞳を僅かに見開いていた。
何かあった時の為にとイルカの自宅住所を教えてはいたが、毎日イルカがサクモの元を訪れているからだろう。サクモから訪ねられた事は一度も無い。
何かあったのかとか、外に出る時は変化しないと駄目だとか。
色々と言わなければならない事はあるのに、今も安否が分からないカカシに良く似た声と相貌で名を呼ばれた途端、イルカの瞳から一気に涙が溢れ出した。堪えようにも堪え切れず、口元を手の甲で押さえるイルカは嗚咽する。
今までも、カカシの身に危険が降り掛かった事は幾度となくある。
そのたびにイルカは、最悪の事態を自分に覚悟させて来た。
今回も覚悟していたつもりだったが、カカシに良く似たサクモから名を呼ばれ、それまでピンと張り詰めていた何かが切れてしまった。覚悟が大きく揺らぐ。
もしかするともう、カカシの声は聞けないのかもしれない。
イルカの視線を受け、ふと柔らかく細められる深蒼の瞳を見る事は、もう二度と出来ないのかもしれない。
(・・・カカシさん・・・っ)
不安と恐怖。それらに押し潰され、今にも崩れそうになるイルカの身体を支えてくれたのは、ゆっくりと歩み寄って来たサクモの力強い腕だった。
サクモに抱きかかえられるように部屋へと入ったイルカは、その玄関先。共に座り込んだサクモから訊ねられるがまま、カカシの部隊が襲撃された事、カカシの安否は今も不明だという事を涙ながらに吐露する。
すると、深蒼の双眸を切なく眇めるサクモの腕が、イルカの背中へと回された。
「・・・大丈夫。絶対に帰って来るから」
そのまま痛い程に力強く抱き締められるイルカの耳元。カカシに良く似た声で告げられたその言葉に堪らなくなる。
「明日はあなたの誕生日でしょ?」
続けられたその言葉を聞き、どうしてそれをサクモが知っているのかと不思議に思う間も無く。
「・・・っ」
自分を抱き締めるサクモの身体が淡く発光し、徐々に透け始めている事に気付いたイルカは、小さく息を呑んでいた。
慌てて身体を離したイルカの視線の先。サクモがふと小さく苦笑する。
「オレが帰って来たら、思う存分詰ってやるといい。心配掛けさせるなって」
「・・・え・・・?」
それは一体どういう意味だろうか。
動揺するイルカの目の前。サクモの左目がゆっくりと閉じられ、その目蓋の上に見慣れた傷跡が浮かび上がっていく。
「・・・う、そ・・・」
カカシに良く似ているはずだ。
長い銀髪を揺らし、カカシよりも少し皺が多いその顔に小さく笑みを浮かべて見せる目の前の人物は、過去から跳んで来たサクモではなく、恐らく未来から来た―――。
「ほんと・・・に・・・?」
自分の仮説が信じられず、縋るような眼差しで目の前に居る人物を見つめるイルカは、小さく頷き返された事で自分の仮説が正しい事を知る。
イルカがずっとサクモだと思っていた人物は、未来から来たカカシだった。
どうしてサクモと名乗ったのかとか、カカシは本当に無事に戻って来るのかとか。
色々と訊ねたい事や確かめたい事があるというのに、元の時代へ戻ろうとする力が働いているのだろう。ますます身体が透けていくカカシから、「時間切れだ」と苦笑されてしまった。
思わずふるふると首を振ったイルカを見て、カカシが困ったようにその目尻の皺を深めて見せる。
目の前に居るカカシは、この時代の異端者だ。いつかは別れなければならない事は、嫌という程に分かっている。
けれど、この一ヶ月間。未来からやって来たカカシがずっと側に居てくれたから、イルカは襲い来る不安に押し潰されずに済んだのだ。未来できっと会えると分かっていても、別れるのは堪らなく淋しかった。
陽炎のように揺れ始めたカカシの姿を見つめるイルカの瞳に、じわりじわりと涙が浮かんでいく。
「カカシさん・・・っ」
聞いてはいけないと分かっていたが、聞かずにはいられなかった。
「俺たちは・・・っ、俺たちは未来でも共に・・・っ」
イルカのその問い掛けに返されたのは、慈しむような柔らかな笑み。
「・・・誕生日おめでと、イルカ先生」
その言葉を最後にふっと消えてしまったが、カカシが最後に見せてくれたその笑みは、二人は未来もきっと共にあるとイルカに希望を持たせてくれた。