3周年記念
震えるその指先が 前編
短編「ナイフとフォーク」の続編となっております。まずはそちらをお読みになってからお読み下さい。





幼い頃に両親を亡くしたからだろうか。
イルカは自分でも、かなり強い結婚願望を持っていると思う。
”安全物件”として人気が高いのだろう。里外に出る事の多い戦忍たちとは違い、アカデミー教師や受付所勤務など内勤の者たちは、同じ忍でありながら婚姻率も出産率も高めだ。
子供好きなイルカも早く結婚したいと常に願っていて、女性の家庭的な所をほんの少しでも見ると惹かれる事多々。
自分が惚れっぽい事は自覚していたが、惚れられた相手が迷惑を被っている事までは気付いていなかった。
―――イルカ先生のお気持ちは凄く嬉しいんです。
ずっと思い悩んでいたのだろう。
女性に高い人気を誇るレストランの一角。和モダンな雰囲気漂うテーブル席に着いた所で、小さな身体をさらに小さくさせ、ぎゅっと握った両手に視線を落とした女性は、搾り出すような声でそう切り出した。
忙しい両親に代わり、幼い弟たちの為に毎日料理しているというその女性と知り合ったのは、この春に受け持ったクラスの子供の家庭訪問先。
一目で好きになり、それから何度も食事に誘ったが、誘っても誘ってもやんわりと断られ続けた時点で気付けば良かったのだ。
彼女には想い人が居て、イルカの想いは迷惑以外の何物でもない事を。
―――でも、お願いです。もう付き纏わないで下さい。
今にも泣き出しそうな表情を浮かべる彼女からそう告げられ、イルカは自分の愚鈍な行動にようやく気付く。
はっきりと告げてくれて良かった。
でなければ、女心に疎いらしい自分はいつまで経っても、好きな女性に迷惑を掛けていると気付けなかっただろう。
気付けたのは良かったが、弟想いの心優しい彼女には辛い思いをさせてしまった。
後悔と反省の嵐で、イルカの落ち込みようは半端では無かったが、そんなイルカの沈鬱を軽く吹き飛ばすような出来事が発生した。
―――ちょっとくらい振り向いてくれてもイイと思うんですけど。
女性と入れ替わるように目の前に現れたカカシから、突如として告白されたのだ。
驚いた、なんてものではない。
中忍であるイルカだが、上忍であるカカシとは階級を超えた友人だ。
はっきりとそう言えるくらいに仲が良く、カカシと共に居る時間も多かったが、カカシがそんな素振りを見せた事は一度も無かったと思う。
あの時は疑問に思う余裕も無かったが、どうしてカカシがあの場に現れたのかとか、どうしてあんな事を言ったのかとか。
女性から振られた事は頭からすっかり抜け落ち、カカシの事ばかりを考えて数日。
受付所のカウンターに着くイルカの前に、報告書を片手に持ったカカシが姿を現した。




暑い夏がやって来た。
窓は大きく開け放たれているものの、吹き込んで来るのは生温い風のみという中。報告者たちで混雑する受付所内で、数人の同僚たちと共にカウンターに着くイルカは、暑さから来るものではない汗を密かに掻く。
「お願いします」
そんなイルカの目の前。柔らかな笑みを浮かべるカカシからそう告げられたイルカは、差し出された報告書を受け取りながら、いつものように笑みを浮かべて見せた。
「お疲れ様です。お預かりします」
片頬が僅かに引き攣った気がしたが、ちゃんと笑えていたのだろう。イルカを見下ろすカカシの顔に浮かぶ笑みが深さを増し、イルカから逸らされたカカシの視線が、イルカの背後にある窓へと向けられる。
「今日も暑いねぇ」
笑みを苦笑に変えたカカシから辟易したような口調でそう告げられ、報告書へと視線を落とすイルカは僅かに苦笑する。
「今月の最高気温を更新したそうです」
その顔の殆どを隠しているカカシにとって、この暑さは過酷だろう。
そう返しながら、報告書に書かれている見慣れたカカシの字を追うイルカは、カウンター越し。目の前に立つカカシの様子をそれとなく探った。
「そうなの?」
そんなイルカの頭上。降って来たカカシの声は多大なる憂いを纏っており、それを聞いたイルカは苦笑を深める。
「明日は雨だそうですから。少しは涼しくなってくれると良いですね」
当たり障りの無い事を返しながら最後までチェックを終えたイルカは、僅かな緊張と共に俯かせていた顔を上げる。
「はい、結構です」
「ありがと」
笑みを浮かべ、報告書に不備は無かったと告げたイルカに対し、こちらも笑みを浮かべて見せたカカシが、そのまま踵を返す。
その後姿を見送るイルカは、内心ホッと安堵の溜息を零していた。
(・・・なんだ・・・)
至って普通だ。
カカシの態度は以前と全く変わっていない。
―――もう『イイお友達』はやめますから。覚悟して下さいよ、イルカ先生。
あんな事を言われたのだ。受付所でも構わず口説かれるのではないかと警戒していたが、至って普通に接せられ、肩透かしを食らった気分だった。
イルカが振られるたびに慰めてくれていた心優しいカカシの事だ。もしかすると、イルカを元気付けようとして言った冗談だったのかもしれない。
(・・・好きだって言われた訳じゃないしな)
自意識過剰だったかと内心苦笑するイルカは、受付所を出るカカシの後姿を視界の端に捉えながら、次の報告者へと笑みを向けた。