心が聞こえる 3






中忍試験が始まった後、大蛇丸の木の葉崩しにより三代目火影が亡くなった。
里内は慌しく変化して、五代目火影に三忍の一人である綱手が就任。
三人の子供たちもそれぞれカカシの手を離れて行き、残されたカカシは任務に忙殺される日々を送った。


あれから一年近く経ち、季節はすっかり春を迎えている。
それなのに、今でもカカシは毎日昼夜を問わず任務に追われていた。
少しは休ませて欲しいなんて思ってしまったら、里に対する忠心が足りないと言われるだろうか。
「ほら、次はAランク任務だ」
受付所で目の前のカウンターに座る綱手に、さっさと行けとばかりに依頼書を手渡されたカカシは、ハァと大きく溜息を吐いていた。
これくらいは許して欲しい。毎回帰って来たらすぐに任務に行けという綱手に、文句を言う事もなく働いているのだから。
(ホント、人使いの荒い・・・)
そんな事を考えていたら。

『さっさと行くんだよ、カカシ!』

睨みをきかせた綱手にかなりの大音量で『声』を向けられて、カカシは眉を顰めた。
(普通に言えばいいのに・・・)
カカシの事を幼い頃から知っている綱手は、カカシの能力の事も知っている。この能力を使って賭け事に引っ張り出された事だってある。
「はいはい・・・」
「はい、は一回でいいんだよ!さっさと行きな!」
もう一度だけ溜息をついて、「はい」と素直に答えると、カカシは受付所を後にした。



今回は、単独でのAランク任務。忍崩れを数人含む盗賊団の殲滅だ。
新月の夜で殆ど明かりのない中、任地へと移動する。
(『聞こえる』ようになったのはいつからだったかな・・・)
木々の合間を伝いながら、カカシはそんな事を考えていた。
左目がカカシの元へ来た時には、既に聞こえていた。
父親が生きていた頃は聞こえていなかったと記憶しているから、きっとそれ以降なのだろう。
初めて『声』を聞いたとき、その当時の周りの声はカカシとカカシの父親を蔑むものばかりだったから、それが陰ではなく面と向かって言われるようになったのかと思った。
すぐにそうではないのだと分かったが、何時でも誰彼構わず聞こえてくる『声』に、カカシは自分の頭がついにイカれたのだと思った。
聞くことを望まない『声』は苦痛でしかない。
すぐに精神が破壊されそうだと思ったが意外と頑丈だったらしく、今でもこうして普通に生きている。
いや。
『普通』ではないかもしれない。
心はいつでも軋んでいて、痛いと悲鳴をあげている。ただ単に、聞こえないフリをしているだけだ。
少しでも気を緩めると、深くて暗い底に堕ちていって這い上がれなくなるだろう。
いくつかの防音手段を見つけて実践し、今でも何とか生きている。

『・・・そ・・・交・・・の時間か、腹減ったな・・・』

敵地に近づくにつれて、見張りだろう者の『声』が聞こえてくる。
『声』の聞こえる範囲は約1kmだ。手近な枝で足を止めると、カカシは『声』の主の気配を探った。
(見張りは一人・・・いや、二人か。左目を使うまでもないな)
ホルスターからクナイを取り出す。そうしてカカシは、気配と『声』のする方向へと跳躍した。



敵本隊の人数が予想以上に多くて時間が掛かってしまった。
(あー疲れた・・・)
それでも完璧に任務を終え里へ戻ったカカシは、報告書を提出する為に受付所へ向かっていた。
もう明け方が近い。見上げた空が明るくなってきている。
それをぼんやりと眺めながら、カカシはハァと小さく溜息を吐いた。
ここのところ連続でS〜Aランク任務をこなしているからか、疲れが溜まってきている。
それに加えて、里での生活だ。
人が多いとそれだけ『声』も多い。
戦地を転々としていた頃は、敵のものか同じ任務についている者の『声』だけだったから少なかったし、内容も任務に関するものが多かった。
そういう『声』は任務に大きく役立つものだったから、特に煩わしいと思ったことはない。
だが、里での『声』はろくな事が聞こえてこない。
聞きたくなくても聞こえてくる『声』はカカシの疲れを増すものだった。
(この時間はさすがに起きてる人が少ないから聞こえないな・・・)
聞こえないほうが気楽でいい。そう思った時だった。

『・・・あ、もうこんな時間か』

ふいに聞こえてきたその『声』に、受付所へ向かっていたカカシの足が一瞬止まった。
(この『声』は・・・イルカ先生?今日は深夜勤だったのか)
イルカの『声』が聞こえてきた途端、それまで感じていた疲れが一気に霧散する。受付所へ向かう足が自然と早くなる。
分かりやすい自分に苦笑しながら受付所の前までやってきたカカシは、ドアをガラリと開けた。
「あ、カカシ先生!お疲れ様です」
カウンターに一人座って窓の外を眺めていたイルカが、受付所に入ってきたカカシを見止め、笑みを浮かべてぴょこんと頭を下げてくる。

『・・・あれ?笑ってる?何かいい事でもあったのかな』

「はい、お疲れ様です」
(疲れてる時にあなたの『声』が聞けて嬉しいんですよ)
イルカの『声』に心の中でそう返事をしながら、カカシはカウンターへと歩み寄り、イルカへ報告書を差し出した。
「お願いします」
「お預かりします」
それを受け取り俯いたイルカが、手にしたペンで報告書の文字をつらつらと追う。その姿を見ながら、カカシはイルカのその『声』に意識を傾けた。

『今日も単独任務だったんだ。Aランクの任務をたった一人で怪我もなく・・・。うわ、凄い人数。大変だっただろうな。今日も確か任務入ってたはず・・・寝る時間あるのかな・・・』

イルカの労わる『声』がカカシの心を擽る。ほんのりと胸が暖かくなる。
(大丈夫ですよ。少しくらい寝なくても平気です)
そう声に出して答えたいのをカカシはなんとか堪えた。
「・・・カカシ先生」
「はい」
まだ報告書をチェックしているイルカが、顔を上げずに声を掛けてくる。
「これからご自宅に戻ってお休みになられるんですか?」
「いえ、この時間だと数時間もすれば次の任務になりますからそのまま」
『声』と似たようなイルカの問い掛けに微笑みそうになりながらそう答えると、イルカが顔を上げた。
「あの、そこに受付の仮眠室があるんです。少しの間だけでもお休みになられませんか?」
「あー。大丈夫ですよ。少しくらい寝なくても平気です」
先ほど心の中で答えた台詞を口にしたカカシから、堪えきれない笑みが僅かに零れる。

『あ、また笑ってる。俺、変な事言ったかな・・・。カカシ先生、無理してないかな。少しだけでも寝たほうがいいと思うんだけど』

「でも!本当に少しだけでもお休みになられませんか?仮眠室って言ってもちゃんとベッドありますし、結構寝心地いいんです。俺、起こしますし」

『こんなにしつこく言ったら嫌がられるかも・・・。何か用事があるのかな。・・・余計なお節介・・・かな』

「えっと、・・・その・・・すみません」
聞こえてくる二種類の声の必死さが可愛らしくて、どうしても浮かびそうになる笑みを堪えていたら、すっかり返事をし忘れていた。気づけば、イルカが俯いてしまっている。
(しまった・・・っ)
慌てて返事をする。
「あ、いえ・・・じゃあ。イルカ先生がそんなに勧めてくれるなら、少しだけ」
とうとう堪え切れなかった笑みを浮かべながらそう言うと、カカシのその言葉に顔を上げたイルカがそれはそれは嬉しそうに、
「はい!」
と満面の笑みを浮かべてくれた。