心が聞こえる 5






五月も終わり近くになったその日。
頑張って任務を終わらせ、その報告書を片手に持つカカシは、受付所のドアの前で中にいるイルカの気配を感じながら少し悩んでいた。
(どうしよう・・・)
イルカに疲れている時に優しい『声』を聞かせてもらって、ぐっすりと眠れたあの日以来。疲れたなと感じた時、イルカの『声』が聞きたくなって仕方がないのだ。
今日もちょっと疲れてしまっている。あの日のようにイルカの『声』がたくさん聞きたい。けれど、受付所で報告書を提出するだけでは聞ける時間は短い。
だから、長い時間聞けるように、一緒に飲みに行かないかと誘いたいのだが。
(迷惑じゃ、ないかな・・・)
子供たちが皆巣立ってしまった今、あまり接点のない二人だから、誘うのに少しばかり勇気がいる。
でも、今日は本当に疲れが溜まっていて、どうしてもイルカの『声』が聞きたい。
(よし・・・!)
飲みに誘うだけだというのに自分に無駄に気合を入れると、カカシは受付所のドアをガラリと開けた。

『あ、カカシ先生だ』

開けた途端に聞こえてきたイルカの『声』が、嬉しそうだと感じてしまったのは、自分の願望だろうか。
カウンターに座るイルカへと真っ直ぐ向かい、カカシは手に持っていた報告書をイルカへと差し出した。
「お願いします」
「はい。お預かりしますね」
報告書を受け取って、俯いてチェックを始めたイルカのひょこひょこと動く尻尾を見つめながら、いつ誘おうか、どうやって誘おうかと考える。
そんな時。

『休みが少ないけど、・・・疲れてないかな、カカシ先生』

なんていうイルカの『声』が聞こえてきた。
気にかけてくれてるのが嬉しい。
そう思ったら、「イルカ先生」と口が勝手にイルカの名を呼んでいた。
「はい?」
小首を傾げながらイルカが顔を上げる。
名を呼んでしまったのだからと、覚悟を決めたカカシは、
「今日、この後お暇ですか?良ければ・・・。お暇でしたら、一緒に飲みに行きませんか?」
と誘いの言葉を口にした。

『え・・・』

聞こえてきたイルカのその『声』に、カカシは諦める事を自分に覚悟させた。イルカの『声』から困るとか、少しでも嫌がる内容が聞こえてきたら諦めろ、と。
だが。

『嬉しい・・・っ。カカシ先生が誘ってくれたっ。嬉しい!』

イルカの本当に嬉しそうな『声』が聞こえ、ぱぁと笑みを浮かべたイルカが、「はい!」というこちらも嬉しそうな声を聞かせてくれる。
断られなかった事にホッとした。それどころか、イルカが凄く喜んでくれた事がとても嬉しい。
(良かった・・・)
待ち合わせの場所と時間を相談しながら、カカシの顔には抑えきれない笑みが浮かんでいた。


その後、カカシは仕事を終えたイルカと待ち合わせて居酒屋へと向かっていた。
梅雨に入る直前特有のじめじめした湿気を含んだ風。それに吹かれながら、当たり障りのない会話をイルカと交わす。夕闇の迫る街道をイルカと並んで歩く。
そんな他愛ない事も嬉しいと思えてしまい、カカシは笑みを浮かべてイルカと会話をしながら、ほっこりとした暖かさを味わっていた。
それにだ。

『嬉しいなぁ』

先ほどから隣を歩くイルカが嬉しいを連発していて、カカシは気を抜くと緩みそうになる頬を引き締めるのが大変だった。
(そんなに喜んで貰えるとオレも嬉しいですよ、イルカ先生)

『あ、でも。どうして俺を誘ってくれたんだろう・・・?』

そんなイルカの『声』にそれとなく応えるべく、カカシはイルカに声を掛けた。
「そう言えば、この間は休ませてもらって助かりました。イルカ先生のおかげで疲れが取れました。そのお礼と言っては何ですが、今日は奢らせて下さいね」
カカシにしてみれば『声』を聞かせてもらうお礼も含まれているのだが、そんな事は知らないイルカは、やはりというか慌てて断ってきた。
「そんな、駄目ですよ!俺は何もしてませんし・・・。だいたい、カカシ先生は働き過ぎなんですよ」

『今度、綱手様に上申してみよう。疲れが出て大きな怪我でもしたら・・・』

イルカに声と『声』でそう心配をされて、思わず笑みが零れた。
「大丈夫ですよ。一応上忍ですから、そんなにヤワじゃないです」
「・・・そうですか?でも、あまり無理はなさらないで下さいね?」
そう言いながら、イルカがひょいと頭の尻尾を揺らしてカカシの顔を覗き込んでくる。
カカシを気遣う言葉とそんな可愛らしい仕草を見せるイルカに、カカシは自分の胸が微かにトクンと脈打った気がしていた。


居酒屋に入ってすぐ近付いてきた店員に、イルカが「個室を」と告げる。
顔を隠しているカカシの為にそう言ってくれたという事がその『声』から分かり、イルカのさり気ない気遣いが嬉しかった。
注文した品が全て運ばれてきてから素顔を晒したカカシに、イルカがまた『綺麗』と思ってくれる。それもカカシには嬉しく思えた。
「どうぞ、イルカ先生」
「ありがとうございます」
注しつ注されつ飲みながら、受け持っていた子供たちのアカデミーでの話とか下忍時代の話だとか、二人の共通の話題でひとしきり盛り上がる。
そしてその後は自分たちの話題になり、カカシはイルカのいろんな事を知った。
両親は先の九尾の事件で既に他界している事。温泉が好きだという事。アカデミーの子供たちを本当に愛している事。
そして、カカシは自分の事も少し話した。
九尾の事件で自分も大切な先生を亡くした事。秋刀魚の塩焼きと茄子の味噌汁が好きな事。ここのところの立て続けの任務で少しだけ、ほんの少しだけ疲れている事を。
楽しかった。
自分の持つ能力のせいで友人の少ないカカシだ。心許せる新たな友人が出来たようで嬉しかった。
でも。
やはりイルカの行動や『声』からは、上忍のカカシに対する遠慮や配慮が見て取れ、カカシにはそれが少し淋しかった。
イルカの笑顔を見ながら、イルカの『声』を聞きながら、イルカが階級を気にせず友人になってくれたらどんなにいいかとカカシは考えていた。