心が聞こえる 7






暑いからと揃って冷酒と洒落込んだ二人は、いつものように個室で酒を酌み交わしていた。
「で、最近どうなの?イルカ先生」
「何がですか?」
頼んだ大好きな秋刀魚定食をつつきながら、暑さと疲れとちょっと過ぎた酒に、きっと酔いが回っていたのだろう。カカシはいつもは聞かないような事をイルカに聞いた。
「女ですよ。イルカ先生いつもオレに付き合ってくれてるけど、いい人とか好きな人とかいないの?」
「・・・」
カカシのその台詞に、イルカが急に黙り込む。

『・・・いる。・・・好きな人。凄く好きな人』

だが、黙り込んだイルカに代わって『声』がそう答えてきた。
(え・・・?)
それを聞いたカカシは驚いた。
イルカに好きな人がいるという事に、何故かショックを受けた自分がいたのに気付いたのだ。
いや、きっとアレだろう。
今までそんな話、イルカの口からも『声』でも聞いた事が無かったから驚いただけだ。
そう思いながら、黙って俯いてしまっているイルカにカカシは再び尋ねた。
「いるの?」
いるのなら、イルカの好きな人が誰なのか知りたい。そう思った。
でも。
顔を上げたイルカは、いつものように笑みを浮かべて、
「・・・そんな人いませんよ。いるわけないでしょう?」
と、カカシが初めて聞く『声』と反対の言葉を口にした。
カカシの瞳が僅かに見開かれる。
(どうして・・・)
その時カカシは、目の前で笑うイルカが急に遠退いていった気がしていた。


素直なイルカが、初めてカカシに嘘をついた。
意外にもその事がカカシに大きなダメージを与えたようで、逃げるように飲んでいたからか、さすがのカカシも少し酒に酔った。
「・・・大丈夫ですか?」
水の入ったコップを手渡してくれたイルカが、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ん。ありがと。・・・大丈夫、少し横になれば大丈夫だから」
水を飲み干したカカシはテーブルにコップを置くと、イルカから逃げるように背を向けた。身体を横たえ片腕に頭を乗せる。

『大丈夫かな・・・』

イルカの心配そうな『声』が聞こえてくる。
いつもは心温まるその『声』が、今のカカシには切なかった。
どうして今みたいに素直に、好きな人がいると言わない。どうして嘘なんてついた。
イルカはカカシの能力の事を知らないのだから、詰る権利なんてカカシにはないのに、そんな事を考えてしまう。
後ろで食器類を片付けているらしいイルカの動く音と、カカシを心配する『声』に耳を傾けながら、ぐるぐると考え込んでいた時だった。

『もうすぐ八月か・・・。あと二ヶ月もしないうちにカカシ先生の誕生日が来るな・・・』

聞こえてきたイルカのその『声』に、カカシはその瞳をゆっくりと見開いていた。
(どうして・・・)
イルカに誕生日を教えた記憶はカカシにはない。いろんな話をしたが、互いの誕生日は知らないはずだ。実際、カカシはイルカの誕生日を知らない。
聞かれて答えたのならば、カカシも絶対にイルカの誕生日を尋ねて教えてもらっているはずだ。
どうしてカカシの誕生日をイルカが知っているのだろう。
誰かから聞いたのかもしれないと考え、いやと思い直した。
カカシの誕生日を知っている人間は数少ない。友人であるアスマや紅あたりが浮かんだが、あの二人がカカシの誕生日なんて覚えているとは思えなかった。
(じゃあ、どうしてイルカ先生が知ってるんだ・・・?)
そんな事を考えていたら、イルカが小さく声を掛けてきた。
「カカシ先生・・・?」
咄嗟に寝たふりをしてしまった。
今、イルカの顔を見たら、どうして自分の誕生日を知っているのか問いただしてしまいそうだったから。
『声』で知った事を問いただすなんて出来ないと、カカシはスッと目を閉じた。

『寝ちゃったのか・・・?』

イルカがそっと近づいてくる。影がカカシの閉じた目蓋の上に掛かり、イルカが顔を覗き込んでいるのが分かる。

『・・・綺麗な人・・・』

いつもいつも、カカシが素顔を見せる度に向ける『声』をイルカが再度向けてくる。
髪を一房、その指で掬い取られる。それでも動かないでいると、暖かいイルカの手がそっと髪の間に差し込まれ、優しく梳かれた。

『好き』

(え・・・?)
聞こえてきたイルカの囁くようなその『声』に、カカシの胸がドクンと高鳴った。

『この人が凄く好きだ。綺麗で優しくて、強くて。俺なんかにも気さくに接してくれる・・・』

聞こえてくるイルカのその『声』が、カカシには信じられなかった。

『カカシ先生・・・好き・・・』

友人だと思っていたイルカのその『声』に、イルカが髪を梳くのを止めて声を掛けてくるまで、カカシは身動き一つする事が出来なかった。



イルカの気持ちを知ってしまった。
そして同時に、カカシは自分の気持ちにも気付かされていた。
気づいていなかった。カカシはずっと、イルカの事は友人として好意を持っているのだと思っていた。
自分の気持ちに気付いた時、カカシはイルカの気持ちがとても嬉しいと思った。
けれど同時に、奈落の底に堕ちるかと思うほどの恐怖をカカシは味わう事になった。
カカシの能力の事を、イルカは知らない。


過去の話だ。
カカシが付き合ってきた女たちの中には、カカシの能力に気付く女もいた。

『信じられない』
『気持ち悪い』
『バケモノ』

カカシの言動を不審に思ったのだろう。女に問い質され「そうだよ」とカカシが認めると、そんな言葉を『声』でも、実際にその口からも聞かされた。
それまでどれほどカカシが愛し、そして相手が愛してくれていても、カカシの能力を知ってそれでも愛してくれた人はこれまで一人もいない。
愛し愛してくれていると信じていた人に、能力を知られるたびに激しく拒絶される。カカシはそうやって何度絶望を味わった事だろう。
愛していた人から向けられるそれらの『声』や声はカカシには辛過ぎて、カカシは女たちの記憶からカカシの能力の事を消した。
それだけじゃない。カカシを愛してくれていた記憶も、カカシとの思い出も全て消し去った。
そんな事が何度かあった後、カカシは後腐れのない女を選び、玄人の女を買うようになった。
カカシは愛す事を止め、誰かに愛される事を諦めたのだ。
それなのに。
もう誰も愛さないと決めたはずなのに、カカシはイルカを愛してしまった。
この能力を知ったら、イルカだってきっと愛してはくれない。
イルカに拒絶されたくない。あの素直な『声』を失いたくない。
だから。
イルカにだけは、この能力の事を知られてはならない。