愛しき猫 2






来なくなったら淋しいとイルカが思った途端、猫が来なくなった。
(もう一ヶ月だ・・・)
卓袱台の側に座りカレンダーを見上げて、もう暦は梅雨入り前になってしまっているのに一ヶ月近くも猫の姿を見ていない事に、イルカは小さく溜息を吐いていた。
心配だった。
美人な猫だから誰かに飼われ始めたのならいいのだが、あの猫は前足が少し不自由だ。
どこかに嵌ってたりとかしてないだろうな、と眉間に皺を寄せていた時、不意に聞こえてきた、なぅという聞き覚えのある鳴き声にイルカはハッとした。
猫がいつも出入りに使っている寝室の窓の鍵を急いで開ける。
すると、からりと音をたてて窓を器用に開けた猫が、するりと部屋に入り込んできた。
「随分久しぶりじゃないか。心配してたんだぞ」
窓を閉めてしゃがみ込んで猫を撫でると、詫びるようにざらりとした舌で指先を舐められた。
ついでにイルカの手に頭を摺り寄せ、餌を強請る猫に苦笑してしまう。
「お前、来た早々それかよ」
怪我もなく元気そうな猫の姿にホッとしながら、猫に与える餌を準備する為に台所へと移動する。
足に纏わりつくように一緒に着いてくる猫を、踏んだりしないよう気をつけながら、昨夜出汁を取った煮干を用意して与えて。
さっそく食べだした猫のその体を、イルカが小さく笑みを浮かべながら撫でた時だった。
(こいつ・・・ちょっと太ったか・・・?)
以前と少し違う猫に気づいた。
細かった体がふっくらとしているし、毛並みも以前より艶がある。
何より、一ヶ月も来ていなかったのに、汚れが全く見当たらない。
それどころか、少しだけだがイルカの家の石鹸とは違う石鹸の香りがする。
「お前、誰かに飼われてるのか・・・?」
もしそうだとしたら、勝手に餌を与えてしまって良かっただろうか。
飼い猫が見知らぬ人から餌付けされていたりしたら、いい気がしないのではないだろうか。
「うーん・・・」
既に煮干を食べてしまっている猫を見ながら少しだけ考えて。
イルカは猫に手紙を付けてみる事にした。

箪笥の中から、以前この猫を飼おうかと思った時に購入しておいた組紐を取り出す。
猫の瞳と同じく深い蒼色の綺麗な組紐だ。
続いて、小さな紙に手紙を書く。
何と書こうか少しだけ迷って、

『この猫はどなたか飼われているのでしょうか?』

と、短い文を書いた。
その手紙を小さく畳んで組紐に折り込む。
そうして、食べ終わって身繕いをしている猫を抱き上げて膝の上に乗せ、その首に組紐を括りつけた。
誰かに飼われているのならこの組紐にすぐに気づくだろうし、もしかしたら、手紙を読んで返事をくれるかもしれない。
その時は、この猫の世話を少ししていた事と飼ってくれた礼を書こう。
嫌がる事無く付けさせてくれた猫を偉い偉いと撫でてやり、
「お前のご主人様に届けてくれよ」
とイルカが言うと、猫は少し首を傾げたが、なぅ、と答えてくれた。


組紐をつけたその日以降、猫が珍しく数日間いたかと思ったら、ふらりといなくなって。
しばらく来ないだろうと思っていたのに、二日後に早くもやってきた。
「珍しいな、お前がこんなに早く来るなんて・・・」
いつものように窓からやってきた猫が、なぅと鳴きながらイルカの足元に擦り寄る。
そうして、何かを訴えかけるように見上げてくる。
餌かとも思ったが、猫に組紐をつけた首筋をしきりに撫で付けられて、もしかしてとしゃがみ込んだ。
「もしかして、手紙、渡してくれたのか?返事があるのか?」
なぅ、とイルカの問いに答えるように鳴く猫を撫でてやりながら組紐を調べると、イルカがつけた手紙とは色の違う手紙が折り込まれていた。
(返事だ・・・!)
急いで手紙を取り出し、卓袱台の側に座って小さく折り畳まれたそれを拡げると。

『時々餌を与え風呂に入れていますが、飼い主ではありません』

少し特徴のある字で、イルカの手紙に対する返事が短くそう書いてあった。
それを読んだイルカの頬がじわじわと緩む。
返事をわざわざくれたのと、片足が不自由な猫なのに、可愛がってくれている人がイルカ以外にいるのが嬉しかった。
「お前、いい人に可愛がって貰ってるんだな」
側へ寄ってきた猫の頭を笑みを浮かべてぐりぐりと撫でると、思いっきり嫌がられてしまい苦笑する。
太ったのも、毛並みがいいのも、イルカのところに来なかった間、手紙の人がこの猫を可愛がってくれていたからなのだろう。
そう考えるとどうしてもお礼が言いたくて、イルカは再び小さな紙に返事を書いた。

『私も飼い主ではなく時々世話をしている者です。この子を可愛がって下さってありがとうございます』

そう書いた手紙を小さく畳んで、再び猫の組紐に折り込む。
「お礼の手紙だから、また届けてくれよ?」
そう言って頭を撫でると、なーと鳴いた猫に餌を強請られた。
「よぉし。手紙届けてくれた礼だ。奮発するぞ!」
立ち上がりながらそんな事を言ってみたら、見上げた猫が嬉しそうに、なぅんと一声鳴いた。


それからすぐ、ふらりといなくなった猫が一週間後に再びふらりとやってきた。
前回と同じくイルカの足に首筋を擦り付けるのを見て、返事があるのかと急いで猫の組紐を調べると。
イルカが折り込んだ手紙とは違う手紙が、また折り込まれていた。
それをいそいそと取り出し読むと。

『ついでに世話しただけですよ。どなたかに飼われているのなら、勝手な事をしたのではと心配していたので安心しました』

と、イルカと同じような心配をしていたらしい手紙の人に、ふふと笑みが浮かんだ。
(何だか嬉しい・・・)
イルカの手紙に、律儀に返事をくれる。
足の不自由なこの猫を世話してくれている。
この手紙の人はとても優しい人なのだろう。
そんな人と、猫を介してだが知り合いになれて嬉しいとイルカは思った。