愛しき猫 5






『こちらでは魚を中心に与えています。鰹節だとか、煮干だとか。煮魚の時は必ずと言っていいほどやってきますね。匂いを嗅ぎつけるらしいです』

そう書いた返事の手紙を、いつものように猫の組紐に折り込んだその日の夕方。
受付所に入ったイルカはちょっと決心していた。
手紙の人はカカシではないのか。
それが気になって仕方が無くて、最近のイルカはアカデミーの授業中でも上の空で、今日なんて授業に使う教科書を忘れて生徒たちにからかわれた。
こんなに気になっていては、仕事も手に付かない。
(聞いてみよう・・・)
カカシに猫の世話をしていないか、思い切って聞いてみようと思っていた。
上忍であるカカシに私的な事を訊ねるなんて、中忍のイルカにはなかなか出来ることではないのだけれど。
でも、カカシはいつものように優しそうな笑みを浮かべて、気さくに答えてくれるような気がした。
カカシの笑顔を心の中で思い浮かべ、カウンターの下、ぐぐっと拳を握って決意新たにカカシを待っていたイルカの前。
七班の報告書を手にしたカカシがついに現れた。

「お願いします」
「お預かりします」
いつもは報告書の文字を食い入るように見るのだが、今日は訊ねたい事があるからと、急いで受理を済ませる。
そうして、目の前に立つカカシを勢い込んで見上げた。
「あの・・・っ」
「ん?」
「その・・・」
時々猫の世話をしていませんか?
そう訊ねるだけなのに、言葉が出てこない。
カカシの深い蒼色の瞳と視線が絡んだ途端、緊張からか、心臓が痛いほどに鳴り始めてしまったのだ。
おまけに、カカシに向けた視線も何故か外せなくて。
カカシと見詰め合ったまま、自分の顔がどんどん赤くなっていくのが分かる。
(どうしよう・・・っ)
こんなに見つめてしまっていたら、失礼な奴だと思われてしまう。
カカシに訊ねたいことがたくさんあるのに、嫌われてしまうかもしれない。
そうしたら、手紙の人がカカシかどうか確かめられなくなる。
訊ねる言葉を早く口にしたいのに、焦りも加わって声にならない。
ついには涙までじわりと浮かび、視界の中のカカシが滲み出してしまう。
(うわ・・・っ)
カカシを見つめたまま泣くなんて、とてつもなく恥ずかしいし、カカシにも迷惑を掛けてしまう。
泣いたりしないよう我慢しながら、内心かなり焦り始めていたそんな時。
イルカの耳にふっと小さく笑う声が聞こえてきた。
「そんなに緊張しなくてもいいですよ、イルカ先生」
その優しい声に何とか涙が零れるのを堪えたイルカが、一つ瞬きをして見つめた先。
カカシが右目を少し細めて微笑んでいた。
気分を害するどころか優しそうな笑みを浮かべてくれたカカシに、イルカの緊張が少し解ける。
緊張が解れた事で、カカシに釘付けだった視線をようやく外し、落ち着きなく彷徨わせていると。
「・・・もしかして、子供たちの様子が聞きたいのかな?」
と、カカシが助け舟を出してくれた。
本当は違う事が聞きたかったのだけれど、子供たちの事だって是非とも聞きたい事だったから、赤い顔のままカカシを見上げたイルカは、「はい」と頷いた。
「じゃあ、んー・・・。今晩って空いてますか?」
「え・・・?」
「飲みに行きませんか?そこで子供たちの様子をお話しますよ。オレも子供たちの事でちょっと聞きたい事がありましたし」
笑みを浮かべたカカシに優しく「ね?」と言われて、つい「はい」と頷いてしまい。
カカシが、「それじゃまた後で」と言って受付所を出てから、じわじわとイルカの体温が上がり始めた。
ぼんやりとカカシが出て行ったドアを見つめていたイルカの頬が、知らず知らず緩み始める。
(飲みに誘われた・・・っ)
今のイルカはきっと、顔どころか全身が赤くなってしまっているに違いない。
とても嬉しかった。
カカシに飲みに誘われた中忍なんて、そうそういないのではないだろうか。
飲みに誘ってくれたのも嬉しかったが、何より、子供たちの様子を聞かせてくれるというのが一番嬉しかった。
聞きたくてもなかなか言い出せない事だったから。
(カカシ先生って優しい・・・)
前々から優しそうだとは思っていたが、今回の事で確信した。
カカシはとても優しい。
いつもカカシに何か言いたげな視線を向けるイルカの事を、それとなく気にしてくれていたのだろう。
なかなか声を掛けられないイルカの代わりに、カカシの方から声を掛けてくれた。
そんなカカシの優しさが嬉しくて、イルカはその後、時折怪しい思い出し笑いをしながら交代の時間を今か今かと待った。


仕事が終わったイルカをわざわざ迎えに来てくれたカカシに連れられて、個室のある居酒屋へとやってきたイルカは、
「そんなに緊張しないで」
と、苦笑したカカシからそんな言葉を何度も言われた。
(そう言われても・・・っ)
緊張したくなくてもしてしまう。
ちょこんと正座したイルカの目の前。
テーブルを挟んでゆったりと寛いだ様子で座っているカカシは、里の誉れと言われ、皆からも一目置かれているような人で。
それだけでも充分イルカを緊張させる人なのに、個室に案内されて注文した料理が揃った途端、いつも隠している素顔をイルカなんかにあっさりと見せてしまうから。
料理に落としていた視線をチラとカカシに向けると、イルカの視線にすぐに気づいたカカシが、その端正な素顔ににこりと優しい笑みを浮かべる。
(うわ・・・)
視線を向けるたびに返ってくるその綺麗な笑顔に、毎回のようにぽぅと見蕩れてしまっているイルカなのだが。
そんなイルカに、カカシは呆れる事無く少しだけ苦笑しながら酒を勧めてくれる。
忍としてだけも尊敬に値する人なのに、こんなに端正な顔立ちで、さらには優しくて。
カカシの女性との派手な噂話はイルカもよく耳にしていたが、それも頷けるとイルカは思った。
男のイルカから見ても、カカシはとても格好いい。
カカシの恋人はきっと、カカシに負けないくらいとても綺麗な人なのだろう。
(・・・あれ?)
胸を押さえる。
女性と一緒にいるカカシを想像した途端、胸に小さく痛みが走った気がしてイルカは戸惑った。
「ん?どうかしましたか?」
そんなイルカを目ざとく見止めたカカシがそう訊ねてくれたけれど、どうして胸が痛んだのかイルカにもよく分からなかったから。
「いえっ、何でもありません」
慌ててそう答えた。
「そう?それならいいけど・・・」
少しだけ不思議そうな顔をしていたカカシだったが、そうだ、と口を開いた。
「子供たちの事なんですが・・・」
それからは、カカシが子供たちの様子を詳しく教えてくれて、イルカもカカシに訊ねられるがまま子供たちのアカデミーでの事や、それぞれの性格などを話した。
話し上手で聞き上手なカカシと過ごす時間はとても楽しくて。
イルカは猫の事を聞くのをすっかり忘れてしまっていた。