明けぬ夜 3






―――鋼の国。
火の国から遠く離れたその国は、資源豊富な鉱山を多く有する事で知られている。
山々に囲まれたその風景は緑豊かな木の葉の里を彷彿とさせるが、鉱山を巡って大名同士の争いが絶えない事から、木の葉のような穏やかな生活は望めない事でも有名だ。
国主が病に伏していたのを良い事に、長い間、影で鉱山の利権を貪っていた大名たちは、だが、その国主が崩御した事でそれが出来なくなってしまった。
二十代半ばという若さで就任した前国主の息子は、稀に見る賢主だったのだ。若い国主を意のままに操ろうとする老獪な大名たちの言葉には全く耳を貸さず、民を慮り、争いの火種となる鉱山を国が一手に管理すると通達した。
驚いたのは大名たちだ。一部の者は国主の考えに賛同したが、利権に目が眩んだ多くの者は反発し、国を揺るがす謀反を引き起こした。
今回、木の葉の里が受けた依頼は、その謀反を引き起こした大名たちが篭城している城を落とす事。
連なる鉱山の一つ。切り立った山の頂上に建てられた大きなその城は、周囲を谷に囲まれ、攻め入るには尾根沿いに作られた一本の道のみという難攻不落な城だ。
その城を望む山の頂上に陣を張ったカカシたちは、他の城を次々と落としていきながら、最も難しいその城をもう一ヵ月以上も攻めあぐねていた。




外では夜の帳がすっかり下りている。
総隊長であるカカシに与えられたテントは、他に比べて大きなものだ。小さな机と椅子が二脚。それに簡易ベッドがあるが、それでもまだ広々としている。
そのテントの中。机の片隅に置かれた灯りに照らされながら、その上に広げられた地図を一人眺めるカカシから、小さな溜息が零れ落ちる。
結局、あの上忍に呼び止められた事で、カカシはイルカに会う事が出来なかった。話が終わった後すぐに夕飯の時刻となり、その後は城の周囲に偵察に行っていた者たちからの報告を受けていた為、イルカに会いに行く時間が取れなかったのだ。
カカシの溜息の原因はそれだけじゃない。
(必要ないと何度言えば・・・)
あの上忍に呼び止められた話の内容もまた、カカシを悩ませていた。
任務就任期間が一ヶ月以上になる場合、上忍には伽の相手を求める権利が与えられる。
大戦時に決められた悪習だ。とうの昔に廃れただろうとカカシは思っていたのだが、その権利を行使している人間がまだ居たらしい。あの上忍もその内の一人だ。夜毎、伽の相手を強要しているという。
止めるよう何度か注意はしたのだが、頭の固いあの上忍は年下であるカカシの意見に耳を貸す事をしない。それどころか、カカシにまで伽の相手を送り込んでくるから性質が悪い。
先ほどの話もそれだった。カカシはもちろん必要ないとはっきり断ったのだが、断っても誰かしら送られてくるから、恐らく今夜も誰かがやってくるのだろう。
初めはくのいちばかりだったが、カカシがどんな美女がやってきたとしても断り続けているからか、最近は男女を問わなくなってきている。
嬉々としてやってくる人間も居れば、恋人に操を立てる為、死ぬ覚悟をしてやってくる人間も居る。
そんな彼らに毎回、伽は必要ないのだと説明し、宥めて帰すのは骨が折れる。
あの上忍も、伽の相手を送るのはそろそろ諦めてくれないものだろうか。
そう思っていると、伽の相手を命ぜられた者だろう。テントの外で微かに気配が揺れた。
どうやら今回の相手は中忍らしい。気配を消すのが上手い。広げていた地図を畳む。
「・・・誰?」
一つ溜息を吐いたカカシがそう声を掛けると、外からは思いも寄らない声が返ってきた。
「イルカです。お話があって参りました」
懐かしいその声を聞いたカカシは、テントの出入り口に向けたその瞳を見開いていた。
(なんで・・・っ)
急いで立ち上がり、出入り口へと向かう。布製の前扉を開けたカカシの瞳に、懐かしくて愛しい姿が映し出される。
暗闇の中、テントから漏れる明かりに浮かび上がったのは、確かにイルカの姿だった。
「・・・お久しぶりです。カカシ先生」
小さく笑みを浮かべたイルカがそこに居る。会いたいとあれ程思っていたイルカが、すぐそこに。
その姿を視界に捉えたカカシは、イルカを抱き締めたい衝動に襲われた。扉を支えるその手をきつく握り、懸命にそれを抑える。そうしてカカシは、その顔に小さく笑みを浮かべて見せた。
「・・・ホント、久しぶりですね。一年ぶり・・・かな?」
そう言いながら、カカシは出入り口を塞いでいた身体を引いた。
イルカは話があると言った。伽の相手として送られてきた訳ではないのかもしれない。
中へ入るようにと仕草で促すと、イルカは軽く頭を下げ、テントの中へと入ってきた。物珍しそうに中を見回しているイルカの可愛らしい表情に小さく笑みを浮かべながら椅子を勧める。
「どうぞ、座って下さい」
「ありがとうございます」
すると、イルカは少し緊張した様子でそれに腰を下ろした。そんなイルカを訝しく思いながら、カカシも椅子に腰掛ける。
「それで、話って?」
そう促すと、机の上に置かれている灯りに照らされたイルカが、カカシをひたと見つめてきた。相変わらず力強いその瞳が懐かしい。だが、カカシがその懐かしさに浸っていられたのは僅かな時間だった。
「・・・伽の相手を代わりました」
「・・・っ」
イルカから真剣な眼差しで短くそう告げられたカカシは、その瞳を見開いていた。
「今夜、カカシ先生に宛がわれるはずだった下忍は俺の教え子です。その子の身代わりに俺が・・・」
「ちょっと待って」
動揺に揺れる瞳をイルカから隠す。俯いたカカシは、そう言って僅かに震える片手を上げた。続こうとしていたイルカの言葉を遮る。
少し待って欲しい。衝撃的な話を聞かされて頭が混乱している。
イルカは、教え子が伽の相手を命ぜられ、その身代わりになったと言わなかったか。イルカの教え子がどれくらい居るのかは知らないが、イルカは戦地で毎回こんな事を―――。
「いつも・・・」
カカシの声が震えている。
それはそうだろう。愛しいと思う人が、いくら教え子とはいえ、他人の為に自分の身体を投げ出していると知ったのだ。さすがのカカシでも動揺が隠せない。
「いつもこんな事をしてるんですか、あなたは・・・っ」
「え・・・?」
呻るような声でそう言いながら、カカシはゆっくりと顔を上げた。
「あなたは戦地に出るたびに、こんな・・・っ。伽を命ぜられた教え子の身代わりになっているのかと聞いているんです!」
カカシの突然の詰問に、イルカが戸惑った表情を浮かべる。
だが、次の瞬間にはカカシの言葉の意味を理解したのだろう。慌てたように首を振り、「違います!」と否定してきた。
「いつもはこんな事はしません!話の分かる上忍の方に相談します!今回は、カカシ先生が相手だと知っていたから身代わりを買って出たんです・・・っ」
「え・・・?」
カカシだから伽を代わったのだというイルカのその言葉に、カカシの胸がドクンと高鳴る。動きを止めたカカシに、イルカが小さな笑みを浮かべて見せる。
「カカシ先生なら、仲間に伽を強要するなんて事は絶対にしない。・・・そうでしょう?」
その言葉を聞いた途端、カカシの身体から一気に力が抜けてしまった。大きく溜息を吐き出しながら、背後の椅子に身を預ける。
イルカが戦地に出るたびに、こんな事をしているのではないと分かりホッとした。今夜、イルカが伽を代わったのは、カカシなら話せば分かると思ったからなのだろう。
信頼されているのは嬉しかったが、それと同時に少し虚しくもなった。イルカの、カカシだから伽を代わったというあの言葉に、カカシの胸に抱いている恋心がもしかしてと期待してしまったからだ。
(まったく・・・)
口布に隠されたカカシの口元に、小さく苦笑が浮かぶ。
あの中忍選抜試験の一件の時もそうだったが、常に冷静であるはずの自分がこんなにも振り回されてしまう。それがカカシには可笑しかった。