明けぬ夜 4






聞けば、イルカは伽の廃止を何度も上層部に訴え出ていたのだという。
戦地から戻った教え子たちから数度、相談を受けていたらしい。だが、イルカの訴えは上層部に届く事は無かった。
事実を隠そうとする上忍たちと、事実を隠したい教え子たちが口を噤んでしまえば、悪習が未だにまかり通っているというイルカの訴えは真実味を失い、上層部に聞き届けられる事は無かったのだ。
「・・・一部の上忍だけのようですが、その権利をまだ行使してる者が居るとは思っていませんでした。里に戻ったら、廃止するようオレも上層部に掛け合いますよ」
戦地における伽の強要は悪習だ。
カカシがそう告げると、イルカはホッとしたような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます!カカシ先生が掛け合って下さるのであれば、きっと廃止に持ち込めると思います」
嬉しそうな笑みを浮かべるイルカを見て、カカシの顔にもふと笑みが浮かぶ。
だが、まだ廃止に至っていない現在では、今回の任務において総隊長であるカカシですらそれを抑止する権利がない。注意するに留めるしかないのだ。
何度注意しても聞かないあの上忍は、カカシにまた伽の相手を送り込んで来ようとするだろう。それが堪らなく煩わしい。
笑みを消したカカシが小さく溜息を吐いていると、それに気付いたらしいイルカが小さく首を傾げた。可愛らしいその仕草に、ふと気付く。
イルカも、ここに居れば伽を強要される可能性があるのではないだろうか。
惚れた欲目かもしれないが、こんなにも可愛らしいイルカだ。誰かが目を付けないという保障は無い。
「・・・イルカ先生」
「はい」
「ここに居る間だけでいい。オレの恋人の振りをしてもらえませんか」
カカシの突然の申し出に、イルカがその瞳を驚愕に見開く。
「オレがいくら断ったとしても、誰かがまたオレの相手として送られてくる。あなたの教え子は、イヤだって泣いてたんでしょ?そんな思いを、もうオレは誰にもさせたくないんです。オレに恋人が居れば、そんな事は無くなる」
カカシの口から流れるように出るその言葉は本心だ。だが、それにはカカシの別な思惑が隠されている。
イルカがカカシの恋人という立場にあれば、カカシを恐れ、誰もイルカに手出しはしないだろう。伽という悪習からイルカを守れる。
それともう一つ。
カカシの恋人の振りをするのであれば、イルカは夜毎、カカシの元を訪れる事になる。そうなれば、イルカと一緒に過ごす時間が取れる。より近づける。
綺麗事を口にしてはいるが、カカシの一番の望みはそれだ。
「ココで一緒に寝てくれるだけでいいんです。もちろん、あなたに手出しはしません」
カカシは真摯な眼差しでそう約束した。この胸に抱える恋心は、イルカに気付かれないようにしなければ。イルカに警戒されてしまう。
警戒されてしまうと、イルカを守る事すら出来なくなる。
「ね?お願いします。オレを助けると思って」
そう言ったカカシは、躊躇っているらしいイルカへと軽く頭を下げた。それを見たイルカが慌てる。
「やめて下さい、カカシ先生・・・っ」
「ダメ?」
断らないで欲しい。イルカを守りたい。守らせて欲しい。そして、少しだけでいい。イルカと共に過ごす時間が欲しい。
顔を上げたカカシは、そんな切なる願いを胸に、困った表情を浮かべているイルカを見つめ続けた。
イルカが小さく溜息を吐く。その顔に苦笑を浮かべる。そうして。
「・・・カカシ先生の恋人役が俺なんかでもいいのなら」
イルカからようやく告げられた了承の言葉に、カカシは小さく安堵の溜息を吐いていた。らしくもなく緊張していたらしい。
(・・・あなたじゃなきゃダメなんですよ、イルカ先生)
心の中でだけそう告げ、カカシは「ありがと」と、その顔に笑みを浮かべて見せた。




懐かしさに色々と話し込んでしまい、すっかり夜が更けてしまった。
「そろそろ寝ましょうか」
カカシがそう提案すると、イルカは「そうですね」と、座っていた椅子から立ち上がった。
「じゃあ、俺は寝袋を取りに一旦戻りますね。カカシ先生は先に寝てて下さい」
「こらこら」
そんな事を言い、テント出入り口へと向かおうとするイルカに苦笑する。イルカは、カカシの恋人役になるとはどういう事か、あまり理解していないのではないだろうか。
「このベッドで一緒に眠らなきゃダメですよ。オレたちは恋人なんでしょ?あなたが寝袋で寝てたら、恋人なのに変だって思われちゃう」
「あ・・・」
言われて、カカシと一つベッドで眠らなければならない事にようやく気付いたらしいイルカが、その頬をほんのりと染める。視線を泳がせる。
「・・・大丈夫。何もしませんよ」
カカシは、戸惑っているらしいイルカへと告げるその声を、安心させるように柔らかく響かせた。瞳も柔らかく細める。
カカシはイルカに伽を強要するつもりは更々無い。ゆっくりでいい。イルカにはカカシの事をゆっくり知っていって貰い、そしていつか。
いつか、イルカもカカシの事を好きになってくれたらいい。
小さく首を傾げたカカシは、僅かに苦笑を浮かべた。
「・・・それとも、何かして欲しい?」
からかうようにそう告げると、イルカは「いえ・・・っ」と慌てた表情を浮かべた。
そんなイルカに苦笑を深くしながらカカシも立ち上がる。机の上の明かりを消し、テント奥に置かれた簡易ベッドへと向かう。
額当てを取り去りベストを脱いだカカシは、それらをベッド側にあるテーブルの上へと置いた。ベッドに腰掛け、イルカへと笑みを向ける。
「じゃあ、おいで。一緒に寝よ?」
カカシがそう告げると、イルカはようやく覚悟を決めたのか、真っ赤になりながらも一つ頷いて、カカシの側へと歩み寄ってきた。
カカシ同様、アンダー姿になったイルカと共に、ベッドに身体を横たえる。
「髪、解かなくていいの?」
髪を高く結ったまま寝ようとしているイルカにそう訊ねてみると、イルカは小さく笑みを浮かべて一つ首を振った。
「戦地ではあまり解かないんです。面倒ですから」
そう言いながら、イルカはカカシに背を向けた。
男二人で寝るには窮屈な簡易ベッドだ。今にもベッドから落ちそうな場所にいるイルカの身体に腕を回す。怖がらせないようそっと引き寄せる。
「もうちょっとこっち」
「でも・・・っ」
「狭いでしょ?落ちちゃうから」
そう言い訳して、カカシはイルカの身体をその腕の中に閉じ込めた。顔を擽るイルカの黒髪に鼻先を埋め、二人の身体にタオルケットを掛ける。
何かされるのではと緊張しているのだろう。イルカの身体が強張っている。
「おやすみ、イルカ先生」
そんなイルカに小さく苦笑しながらそう告げ、カカシはその瞳を閉じた。
「おやすみ、なさい」
聞こえてきた小さなその声に、イルカを抱く腕を少しだけ強める。
外で鳴く虫たちの声よりも、自分の胸の音の方が煩い。イルカに聞こえてしまわないか心配な程に。
(眠れそうにないな・・・)
恋しいイルカをその腕に抱くカカシは、高鳴る胸を抱えたまま、その夜は一睡もする事が出来なかった。