明けぬ夜 5






夏の厳しい日差しを緑が遮り、夕刻になれば森の中は一気に涼しくなる。
山頂に張られた陣の中心部に存在する一際大きなテントは、会議用のものだ。その中には今、総隊長であるカカシを含め、数名の上忍が集まっていた。
木の葉の忍が投入されてからというもの、戦況は国主側に有利に進んでいる。
小さな城がいくつか残ってはいるが、主要な城の殆どは制圧済みだ。最も大きなあの城さえ落とす事が出来れば、国主側が勝利するだろうと思われた。だが。
「あの城はかなり面倒だな・・・。初めに支援ルートを絶ったのにも関わらず、一向に弱る気配を見せない」
そう報告したのは、城の偵察に向かっていた上忍だ。
「この暑さと、あれだけ大きな城だ。備蓄がそう持つとも思えないのだが・・・」
その言葉を聞きながら、カカシは壁に貼られた周辺地図へと視線を向けた。
あの城への経路はただ一つ。尾根伝いの道だけだ。
その道は既に国主側が制圧してある。夏の暑さも味方し、陸の孤島となった城は備蓄が尽き、すぐに降伏するだろうと思われていた。
それが、いくら待っても降伏するどころか、弱った気配すら見せない。という事は。
(別の支援ルートがあるって事か・・・)
城の周囲は深い谷に囲まれている。あれだけ大きな城の支援物資が通れるような道は他に無いはずだが、どこかに抜け道があるのだろうか。
「・・・引き続き城の偵察を続けて。それと、どこかに別の支援ルートがあるのかもしれない。城の周辺もちょっと調べて」
「了解」
カカシの指示に複数の上忍が頷く。
「あの城に関しては現状維持。明朝、別の城を一つ落としに行く。各自そのつもりで」
その指示を最後に、カカシは座っていた椅子から立ち上がった。解散を告げ、テントの中から薄暗くなり始めた外へと足を踏み出しながら、口布の下で小さく欠伸を噛み殺す。
少し寝不足なのは、あの夜以来、毎晩のようにイルカと共に眠っているからだ。
初めこそなかなか眠れない様子だったイルカも、最近では、カカシの腕の中に閉じ込められても何もされないと安心してくれたのだろう。すぐに眠ってしまうようになってきた。
そんなイルカの寝顔を、カカシは飽きる事無くいつまでも眺めているのだから、寝不足になって当然だ。
少しの油断でも命の危険に晒される任務中だというのに寝不足になるなんて、総隊長としても忍としても失格だ。下手をすれば、イルカだって危険に晒してしまう。
(・・・ちょっと浮かれ過ぎだな)
そう反省しつつ小さく溜息を吐いたその時だった。
「・・・寝不足ですかな?はたけ上忍」
背後から不意に聞こえてきた含み笑うその声に、カカシは僅かに眉根を寄せていた。自テントへ戻ろうとしていたカカシの足がゆっくりと止まる。
イルカの教え子に、カカシの元へ行くよう命じたあの上忍だ。先ほどの会議にも参加していた為、寝不足を気取られないようにしていたつもりだったが、いくつもの死線を掻い潜ってきた老獪なその目は誤魔化せなかったらしい。
「私が用意した子ではなかったようですが、随分と気に入って下さっているとか」
続いて告げられたその言葉に、カカシは唯一晒している深い蒼色の瞳に剣呑な色を浮かべた。そのまま背後を振り返る。
だが、経験豊富な戦忍はそんなカカシにも動揺一つ見せなかった。笑みすら浮かべながら近付いてくる。
「誰に言い寄られても落ちなかった貴方を落とすくらいだ。あの中忍、かなり優れた房中術を持・・・ッ」
上忍が笑みを浮かべていられたのはそこまでだった。
「・・・いい加減にしてもらえませんか」
イルカを貶めるその発言に、カカシの理性が弾け飛んだ。その瞳をすぅっと細く眇めたカカシから殺気が溢れ出し、滑らかだった上忍の口が止まる。周囲の人間がざわめき出す。
「あの人は、この任に就く以前から付き合っているオレの大切な恋人です。貶めるような発言はしないで頂きたい」
カカシは静かな声でそう告げながら、カカシの殺気に当てられ動けないらしい上忍へと近寄った。その耳元に顔を寄せ、周りに聞こえないよう小さく囁く。
「仲間に伽を強要するアンタを制裁する権限がオレにあったら、今ココでしてるぞ」
敬語を止めたカカシの、低く告げられたその言葉を聞いた上忍の瞳が恐怖に見開かれる。それにふと笑みを浮かべたカカシは、纏っていた殺気を消した。踵を返し、ひらひらと片手を振ってみせる。
「ま、今後は注意して下さい」
まだ動けないらしい上忍に背中越しにそう忠告し、カカシはざわつく周囲を余所にその場を後にした。




自テントに戻り大きく溜息を吐く。
そうしながらカカシは、腰のポーチを机の上に置いた。ベストに仕舞われている巻物も全て取り出す。
戦地に向かう前、カカシは必ず全ての装備を確認する。
命を預け、助けてくれる物だ。確認を疎かにすれば、命に関わる事だってある。
スタミナがあまりないカカシは、左目を使い過ぎるとすぐにチャクラを使い果たし、動けなくなってしまう。そうなれば、自分の身だけでなく仲間の身だって危うい。
チャクラを極力使わずに戦うには、装備が重要なのだ。
巻物を一つ一つ確認していき、最後にポーチの中身を確認する。
(・・・よし)
装備を全て確認し終えたカカシは、机の上に広げられていた巻物やクナイをベストやポーチに戻し始めた。
そろそろ夕飯の時刻だ。急いで片付けなければ、食事を持ってくるだろう係りの者が、トレイを置けずに困ってしまう。
最後のクナイをポーチに入れたところで、テントに近付いてくる気配に気付いたカカシは、その表情をふと和らげていた。すっかり覚えてしまったその気配の主は、カカシの恋人役をしてくれているイルカだ。
イルカもそろそろ食事の時間のはずだが、何か用事だろうか。
ポーチを装着しながら、イルカが声を掛ける前にテントの前扉を開ける。するとそこには、何故か二人分の食事が乗った大きなトレイを持ったイルカが居た。
「・・・どうしたの?」
「食事を持って来ました」
見れば分かる事を言われて苦笑する。配膳は確か下忍の仕事だったと思うのだが、違っただろうか。
それに、カカシと視線が合った途端、僅かに頬を染めたイルカにも小さく首を傾げる。
「今日はイルカ先生が配膳当番なの?」
再度そう訊ねてみると、イルカは「いえ」と言いながらカカシから視線を逸らした。その顔がさらに染まり、それを見たカカシの首がさらに傾ぐ。
「・・・カカシさんの配膳だけ俺が担当する事になりました」
それを聞いたカカシは、どうして急にイルカがカカシの配膳担当になったのか不思議に思うよりも先に、しばらくの間呆然としてしまった。
カカシの聞き間違いでなければ、イルカは今、カカシの事を『カカシさん』と呼ばなかっただろうか。
イルカにそう呼ばれたのは初めてだ。
「今、オレの事『カカシさん』って呼んだ・・・?」
「あ・・・」
確認の為にそう訊ねてみると、イルカは益々真っ赤になって俯いてしまった。
「その、恋人なのに『カカシ先生』って呼ぶのはおかしいって言われて・・・」
どうやら先ほどの一件で、イルカがカカシの恋人だという事が後方支援部隊にまで知れ渡ってしまったらしい。からかわれでもしたのか、カカシをまともに見る事が出来ないらしいイルカに苦笑する。
イルカの持つトレイに二人分の食事が載せられているという事は、炊飯部の人間に気を遣われたのだろう。
周囲の人間が、イルカをカカシの恋人だと認識しているこの状況が少し嬉しい。
「・・・どうぞ。入って?」
ふと柔らかな笑みを浮かべたカカシは、そう言って出入り口を塞いでいた身体を引き、イルカを中へと促した。
それが間違った認識であるという事は、嫌という程に分かっている。だが、それでもカカシはイルカとこうして一緒に居られるこの状況が嬉しかった。