明けぬ夜 6






戦地で出される食事は、食べられるだけマシという場合が多い。
男が多い戦場だ。料理が出来る人間は少なく、そして、手に入る材料だって少ない。
だが、ここの炊飯部には腕の良い人間が居るらしい。少ない材料にも関わらず、栄養バランスの取れた美味しい食事が出てくる。
食事が美味しければ、士気も上がるというものだ。戦地における隊の皆の戦い振りが素晴らしいのは、この美味しい食事のおかげだろう。
その食事の最中、カカシはイルカに少し叱られてしまった。
「何も皆の前で恋人宣言しなくても・・・。殺気まで出して、やり過ぎですよ」
恋人役をしてくれているイルカは夜毎、皆が寝静まる頃にカカシの元へとやってくる。
事情を知らない周囲の人間は、今日カカシが恋人だと宣言するまで、イルカはカカシに伽の相手をさせられているのだと思っていたらしい。
誤解していた事を謝られ、さらには、根掘り葉掘りカカシとの事を聞かれた上に、カカシに愛されているなと散々からかわれたと、イルカは唇を尖らせながらそう言った。
怒っているのだろうか。目の前に座るイルカの眉間に皺が寄ってしまっている。
それを見たカカシは、恋人役を降りると言い出されたらどうしようかと一瞬心配になったが、どうやらイルカは怒っているわけではないらしい。
からかわれたのが余程恥ずかしかったのか、その頬が赤く染まっているのに気付いたカカシは、その顔にふと小さく笑みを浮かべていた。
「ゴメンね?」
カカシがそう謝ると、イルカは「いえ」と少し俯いた。
「・・・滅多に怒らないカカシさんが怒ったのは、俺を貶されたからだって聞きました。その・・・、ありがとうございます」
そう言って軽く頭を下げてくるイルカに苦笑する。
「あなたはオレの恋人でしょ?恋人を貶されたら怒るのは当然ですよ」
ふっくらと炊かれた白飯を口元に運びながらそう告げてみると、イルカは面映そうな笑みを浮かべて見せてくれた。
恋人同士のような会話とこの雰囲気に、カカシの胸が激しく擽られる。
いっそ、想いを伝えてしまえばいい。
心の奥底に隠されている恋心がそう叫ぶ。
受け入れてくれるかもしれない。偽りではなく、本物の恋人になってくれるかもしれない。
そうすれば、この幸せを心行くまで味わう事が出来る。夜毎イルカを腕に抱いていながら、切ない思いをする事も無いと。
だが、カカシはその声を聞き入れる事はしなかった。
(伝えられるわけがない・・・)
受け入れられなかったらどうする。イルカがカカシの恋人役を降りてしまったら、イルカを守る事が出来なくなる。共に過ごす事すら出来なくなる。
伽という悪習からイルカを守り、こうして共に過ごす事が出来るのなら、どれほど切なくとも耐えられる。恋心を伝えられなくても構わない。
そう心の中で自分に言い聞かせていたカカシは、ふとそれに気付き、小さく笑みを浮かべていた。
口の中に入れた煮物が余程美味しかったのだろう。咀嚼するイルカが、それはそれは幸せそうな顔をしてそこに居る。
例え偽りの恋人であっても、こんなに可愛らしいイルカの姿を見る事が出来るではないか。
(それだけで充分だ)
カカシは、美味しいらしい煮物へと箸を伸ばしながらそう思った。




静かな水面に、頭上に輝く下弦の月が映し出されている。
森の中に在るその小さな湖は、木の葉が陣を張っている山頂より少し降りた場所にある。中心部で水が湧いているらしく、澱む事が無いその湖はカカシお気に入りの水浴び場だ。
イルカと共にその湖へとやって来たカカシは、湖畔でおもむろに膝を付いた。地面に片手を付く。
「イルカ先生」
幻想的な湖に視線を囚われているイルカにこいこいと手招きし、近寄ってきたイルカのその手を取ったカカシは、地面の上に置いた自らの手にイルカの手を重ねた。さらにその上から、イルカの手を包み込む。
そうしてカカシは、イルカのチャクラと共に地面の中に仕込まれた札へとチャクラを流し込んだ。
すると。
「うわ・・・」
先ほどまで反対側の湖畔が見えていたというのに、湖の周囲が濃い霧に一気に包まれた。驚いているらしいイルカに、ふと笑みを浮かべて見せる。
「水遁と幻術を掛け合わせてあるんです。この霧が出てる間は、ココには誰も近付けません。あなたのチャクラに反応するようにしておきましたから、これからはいつでも水浴びが出来ますよ」
立ち上がりながらそう告げると、イルカは嬉しそうに「ありがとうございます」と礼を言った。
山頂に張られた陣の中心部にも湧き水があり、水浴びをする事は出来る。だが、いつでも出来るというわけではない。
戦地において水は貴重だ。飲み水と炊飯用の水を優先的に確保する為、水浴びが出来るのは夜間の決められた時間のみだ。その時間帯は、水浴び場に隊の皆が一気に集中する。
一度だけ、カカシもその時間帯に水浴びに行った事がある。だが、総隊長であるカカシに遠慮してしまう人間が多く、それ以来カカシは、偶然見つけたここで水浴びをするようになった。
そのカカシの恋人だと宣言されたイルカだ。恐らくカカシ同様、イルカも皆に遠慮されてしまうだろう。
そう思ったカカシは食事の後、水浴びに一旦戻ると言ったイルカを引き止め、良い水浴び場があると誘いここに連れて来たのだが。
カカシは早くもそれを後悔していた。
「水が冷たいから、風邪を引かないように気をつけて。オレは反対側で浴びていますから」
イルカにそう言い置き、カカシは霧の中、湖の反対側へと歩き出した。
「はい。ありがとうございます」
背後でイルカが再度礼を告げてくる。それに片手を上げて応えながら、カカシは小さく溜息を吐いていた。
イルカが居る場所から充分離れたところで忍服を脱ぎ去り、湖の中へと足を踏み出す。
滾々と水が湧き出ているからか、夏だというのに湖の水は冷たい。その冷たい水に身体を浸しながら、カカシは霧に覆われた空を見上げた。
遠くから微かに聞こえてくる水音は、イルカが立てているものだろう。
カカシは一つ溜息を吐き、澄んだ湖の中へと潜った。水に身体を委ね、力を抜く。
イルカと一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、カカシの中で劣情が育っていく。それを、カカシはここで身体を冷やす事で殺してきた。だが。
(冷めそうに無いな・・・)
同じ湖にイルカが居る。その身を浸している。
それを思うだけで身体の熱が上がる。水の冷たさが分からなくなってしまうほどに。
冷たいはずの水の中から、霧で白く染まった空を見上げる。
イルカへは伸ばせない手をゆっくりと差し伸ばし、カカシは清らかな水を押し当てるように両手で顔を覆った。その身体を小さく丸める。
(・・・好きです、イルカ先生)
心の中で、何度も何度も好きだと告げる。
水の中で、息が続く限り告げる。
イルカには届かない場所で、イルカには届かない声で。
普段押し隠している恋心を思うがまま解放する。
(好き過ぎて溺れてしまいそうだ―――)
澄んだ水の中。銀髪を揺らし漂うカカシは、その深蒼の瞳をそっと閉じた。