恋情に舞う夜 1

2009年カカ誕企画 明けぬ夜の続編となっております。そちらを先にお読みになってからお読み下さい。





それまで混雑していた受付所が、徐々に落ち着きを取り戻す。
(・・・そろそろいいか)
人の波に区切りが付いたのを見計らったイルカは、側に置いていた書類の束を手に取り、カウンターの上にそれを広げ始めた。
受付所のカウンターは、担当者が数人着くだけあって広い。
その広いカウンターの上に置かれるものは様々だ。
依頼書、命令書、報告書。火影から直接言い渡されるSランク以外、木の葉に依頼される全ての任務の詳細が、このカウンターの上に集約される事になる。
受付所の仕事は、その全ての任務を完遂まで円滑に進められるよう事務的に補佐する事。
それから、誰がどこに居るのか、どれだけの戦力が里に残っているのかを把握しておく為、受付所を通った全ての任務内容に目を通して覚えておく事だ。
木の葉が受ける任務の数は多い。その全てを覚えるとなると、頭が破裂しそうになる程の情報量になる。
イルカも受付所に勤務し始めたばかりの頃は、知恵熱を出すかと思うくらいに覚える事が多く大変だったが、数年も経てば一通り書類に目を通すだけで覚えられるようになった。
カウンターの中央付近。そこに座り、乱雑に拡げた大量の書類としばらくの間格闘していたイルカは、大きく息を吐き出しながら倒していた身体を起こした。凝り固まっている肩を、首を数度回す事で解す。
(よし、確認終わり!)
カウンターの上に拡げていた書類を急いで集め、トントンと綺麗に揃える。
そうして、受付所の壁に設置された時計を見上げたイルカは、その顔に焦った表情を浮かべた。いつもより書類の数が多かったからか、思っていた以上に時間が過ぎてしまっている。
「ぅわ・・・っ、もうこんな時間かよっ。すまん、俺はもう上がる!」
「おぉ。お疲れさん」
イルカの焦ったその声とは違い、隣からのんびりとした応えを返してきた同僚に手に持っていた分厚い書類を渡す。そうして座っていた椅子から立ち上がったイルカは、受付所のドアへと足を進めた。
「焦ってヘマすんなよー」
背後から掛けられた、これまたのんびりとした同僚の声。それを聞いたイルカの顔に笑みが浮かぶ。軽い言い方だが、同僚が心配してくれていると分かったからだ。受付所のドアを開けながら少し振り返る。
「おぅ!」
任せとけとばかりに笑みを浮かべて見せると、イルカは受付所を後にした。




秋も深まり、太陽が傾くのが随分と早くなって来た。
多くの木々を有する木の葉の里は、徐々に冬支度を始めているらしい。里のあちらこちらですっかり色付いた紅葉の朱色が、橙色を纏った太陽に照らされとても綺麗だ。
それを視界の端に捉え小さく笑みを浮かべるイルカは、暖かい太陽の日差しを背に受け早足で歩きながら、長年愛用している懐中時計をズボンの中から取り出した。
(身一つで行けばいいし、何とか間に合うか・・・)
昨日のうちに準備を済ませておいて良かった。少しだけ時間に余裕がある事を確認したイルカは、懐中時計を仕舞いながら、昨日も訪れた料亭の中へと入った。
イルカにすぐに気付いた女将に、忙しいだろうからと笑みと会釈だけ返し、勝手知ったる料亭の中を奥へと進む。
木の葉の里でも一、二を争うこの料亭は、木の葉を訪れる賓客をもてなす際に使われる事が多い。
中忍で薄給のイルカには縁遠そうな高級料亭であるが、奥にある広い座敷と、美しい中庭に小さな舞台を有するこの料亭にイルカが訪れる機会は、意外な事に数え切れない程あったりする。
中庭に造られた舞台で舞踊が披露される際、ありがたい事に、イルカの笛をと望まれる事が多いからだ。
今回の賓客である火の国大名は、特にイルカの笛を気に入っているらしく、大名が木の葉を訪れると、イルカは必ずと言っていいほどこの料亭へと足を運んでいる。
イルカは忍であって、笛を商売にしているわけではない。何より趣味で吹いている笛だ。おいそれと手当てを頂くわけにはいかないが、舞踊が終わった後、好意で出される料亭の会席料理を頂くのは、イルカの密かな楽しみだったりする。
今日の料理は何だろうかと、早くも舞踊が終わった後の事へと心を馳せながら、舞手の皆に挨拶をしておこうと、控え室になっている部屋の襖を「失礼します」と開ける。
すると、そこに居た小さな舞手たちが揃って、化粧が施されていても分かるくらい青褪めた顔をイルカへと向けてきた。
「イルカ先生、どうしよう・・・っ」
「ど、どうした・・・っ?」
その舞手たちにわらわらと取り囲まれたイルカは、ついつい、その両手を天高く掲げてしまっていた。
イルカが常日頃接しているアカデミー生と同じくらいの子供たちであるが、その頭には煌びやかな冠を乗せており、衣装もキッチリと身に纏っているため、触れる事が躊躇われたのだ。
「じい様が・・・っ」
イルカのベストの裾を小さな手で握る女の子が、イルカを見上げてそう言いながら、その大きな瞳にうるうると涙を溜め始める。それに気付いたイルカの眉根が僅かに寄った。
泣き虫だった昔の自分を思い出すからだろうか。子供の泣き顔は苦手だ。
他の子にぶつからないようゆっくりと膝を付き、腰のポーチからハンカチを取り出す。そうしてイルカは、化粧が崩れないよう、女の子の目尻に浮かぶ涙をそっと拭った。
「もしかして、また腰やっちゃったのか?」
不安そうな顔をしている女の子にそう問うてみると、イルカを見下ろすその長い睫に涙を絡ませる女の子が小さく頷く。朱色の紅が輝くその唇を僅かに噛み締めて。
「あちゃー・・・」
それを見たイルカは、小さくそう呟きながら天を仰いでしまっていた。
『じい様』とは、木の葉の里で一番の舞手と云われている人物だ。笛を担当するイルカと共演する事も多い。
年が年だけに、そろそろ引退をと考えてはいるらしいのだが、修行に出ているという後継者の孫が一人前と言うにはまだまだ程遠いらしく、老体に鞭打ちながら未だに現役を続けている。
この子たちも、じい様の弟子たちだ。その多くが親を亡くした子供たちだが、幼いながらも舞で生計を立てているというのだから感心する。
その子供たちの親代わりでもあるじい様が腰を痛めたのは、つい最近の事だ。だが、昨日は「もう治ったわい」と元気に舞って見せてくれていたのに。
「じい様はどこに居るんだ?」
じい様が心配なのだろう。涙を浮かべる女の子の隣で、女の子の手を励ますように握り、その顔をそっと覗き込んでいる男の子に訊ねてみる。
「隣の部屋で休んでる」
「そうか・・・。俺はじい様の様子を見てくるから、この子たちを頼んでもいいか?」
イルカの言葉に、男の子が頼もしく頷く。
「頼むな」
男の子に一つ笑みを浮かべて見せたイルカは、片膝に手を置き立ち上がった。不安そうな表情を浮かべている子供たちの合間を縫って、隣の部屋へと続く襖の前へと足を進める。
豪奢な絵が描かれている襖を開けて中に入ったイルカは、心配そうに中を窺おうとする子供たちに大丈夫だと笑みを浮かべて見せながら、ゆっくりと襖を閉めた。