恋情に舞う夜 2






他より小さめのその部屋は、灯りが点されず薄暗かった。
中央付近に敷かれた布団へと近付く。痛むのだろう。その小さな身体を布団に横たえるじい様の顔が苦悶に歪んでいる。
それを見たイルカは、その眉根に僅かに皺を寄せていた。布団の側に膝を付く。
「じい様、大丈夫ですか・・・?」
イルカがそっと声を掛けると、閉じられていたじい様の瞳がゆっくりと開いた。栗色の優しい瞳がイルカの姿を捉える。
「おぉ・・・イルカか。心配掛けてすまんの。まぁた腰をやってしもうた」
皺枯れた声でそう言ったじい様が小さく笑う。歪んではいたが、じい様の顔に浮かんだ笑みに少しホッとする。
じい様はイルカにとっても家族のような存在だ。今は亡き三代目同様、小さな頃から随分と可愛がって貰った。
「治ったばかりなのに無茶をするからですよ。少しはご自分のお年を考えて下さい」
わざと眉根をクッキリと寄せたイルカがそう苦言を呈すると、無理をした自覚があったのだろう。じい様は「そう言ってくれるな」と苦笑を浮かべた。
「しかし、弱ったのう・・・」
そう言ったじい様が、その眉尻を下げながら天井を見上げる。
「この腰では、今宵の舞は無理じゃ・・・。舞が無ければ、大名様もご機嫌を損ねてしまわれるじゃろうて・・・」
それを聞いたイルカの表情が曇る。
じい様の舞は、今夜の宴の要だ。それが急遽中止となると、いくら温厚で知られていている大名であっても機嫌を損ねてしまうだろう。
隣の部屋に居る子供たちが不安そうだったのは、じい様の身体が心配だっただけではない。贔屓にしてくれている大名が機嫌を損ね、今後の温情を止めるとなれば、子供たちの生活は一気に苦しくなる。
じい様の舞に遜色無い程の素晴らしい舞を披露出来れば良いのだが、生憎、じい様に匹敵する程の舞手は、この木の葉の里には存在しない。
(どうすれば・・・)
こういう時、笛を奏でる事しか出来ない自分の無力さを痛感する。
可愛がってくれたじい様や小さな子供たちの為に何か役に立ちたいのに、イルカは笛を奏でる以外何も手伝ってやる事が出来ない。それがとても悔しい。
自分でも気付かない内に俯いていたイルカは、その唇を僅かに噛んだ。
何か出来る事は無いだろうか。一つくらいあるはずだ。笛を奏でる以外に、イルカにも出来る事が何か。
何か―――。
「・・・イルカ先生、ソコに居るの?」
「・・・っ」
部屋の外から遠慮がちに掛けられたその呼び声に、イルカは慌てて顔を上げた。いつの間にか、廊下の明かりが漏れ入る障子に見慣れた影が映っている。
それを見たイルカの瞳が見開かれる。
「・・・え、カカシさん・・・?」
小さく首を傾げているのだろう。ぴんぴんと跳ねた髪を揺らすその人は、イルカの恋人であるカカシだ。Sランク任務が入って数日里を空けていたはずだが、いつ戻って来たのだろうか。
それに、どうしてここにカカシが居るのかが分からず困惑してしまう。
だが、イルカのそれらの疑問は、続いて聞こえてきたカカシの声が説明してくれた。
「うん。さっき戻ってきたばっかりなんですけど、五代目にお使い頼まれちゃって。今夜の宴にイルカ先生も出るんですよね?何かあった・・・?」
動揺が気配に出ていたのだろう。心配してくれているのか、カカシから気遣わしそうにそう訊ねられたイルカはじい様を見遣った。
カカシとじい様の面識はイルカを介して多少なりともあるが、この状況を説明してもいいものだろうか。
イルカの視線に気付いたじい様が小さく笑みを浮かべる。
「話しても構わんよ。中に入って貰うといい」
「はい」
優しい声にそう促され、一つ頷き立ち上がる。そうしてイルカは、カカシの影が映る障子へと足を進めた。そっと障子を開ける。するとそこには、数日振りに見るカカシの姿があった。
「ただいま、イルカ先生」
そう言ったカカシのイルカを見つめる深蒼の瞳が柔らかく綻ぶ。
イルカが把握出来ないSランク任務で少し心配していたのだが、怪我も無さそうで安心した。イルカの顔に自然と笑みが浮かぶ。
「お帰りなさい。あの、立ち話もなんですから中に入って下さい」
そう言ってイルカは身体を引いた。カカシを中へと促す。
「ん。・・・何かあったの?」
「それが・・・」
じい様に視線を向けるイルカの表情が再び曇る。
そんなイルカの脇をすり抜けたカカシが、じい様が横たわる布団へと近付いた。その側にゆっくりと膝を付く。
「・・・こんな格好で申し訳ないの。はたけ上忍」
「いえ、構いませんよ。腰・・・ですか?」
心配そうな表情を浮かべたカカシのその問いに、苦笑を浮かべたじい様が頷く。
「年甲斐も無く張り切ってしもうての。今宵の舞は無理そうじゃ。・・・そうじゃ。イルカを連れ帰ってはくれませぬか。宴を台無しにしたと大名様に叱られるのは、この年寄りだけで充分じゃからの」
それを聞いたイルカは、慌ててカカシの横に膝を付いていた。じい様へと身を乗り出す。
「何を仰っているんですか!じい様一人じゃ動けないでしょう!?俺も一緒に行きます!」
勢い込んでそう告げたイルカに、じい様が首を振って見せる。
「大方、わしらの為に大名様に上申しようと思っておるのじゃろう?駄目じゃ駄目じゃ」
図星を言い当てられ、ぐっと詰まってしまう。
大名に上申するなど、分不相応な行いだとは重々承知している。下手をすればイルカにも処分が下るかもしれない。けれどイルカに出来る事と言ったら、それくらいしか思い浮かばないのだ。
それすら出来ないとなると、イルカは本当に何も出来ないままになってしまう。
じい様や子供たちの為に何かしたい。
「でも・・・っ」
そんな思いから、じい様へとさらに言い募ろうとしたイルカの言葉を、それまで二人のやり取りを聞いていたカカシが「ねぇ」と遮った。
「ソレって、じい様の代わりに舞える人が居れば丸く収まる話?」
「え・・・?」
小さく首を傾げたカカシにそう訊ねられ、イルカはきょとんとカカシを見つめてしまった。
確かに、じい様の代わりに舞える人物が居れば、大名も機嫌を損ねる事は無いだろう。全てが丸く収まる。けれど、じい様程の舞手は木の葉の里には一人も―――。
「オレで良ければ舞いましょうか?」
「は・・・っ!?」
続いてそう提案されたイルカは、カカシを見つめるその瞳を大きく見開いていた。