恋情に舞う夜 3






イルカだけじゃない。じい様も「なんと」と小さく呟き、そのつぶらな瞳を驚きに見張っている。
「え、でも・・・」
カカシは舞を嗜む人だっただろうか。付き合い始めてから色んな話をしてもらったが、そんな話は一度もしてもらったことが無い。
困惑するイルカに、カカシがふと笑みを浮かべてみせる。
「オレがコピー忍者って呼ばれてるのは知ってるでしょ?この前の秋祭りで見た演舞で良ければ、じい様とそっくりそのまま同じ様に舞えますよ」
「あ・・・っ」
それを聞いたイルカの表情がぱぁと明るくなる。
カカシはその左目に写輪眼を有し、里一番の技師と呼ばれる程の優秀な忍だ。
そのカカシなら、じい様の舞を完璧に再現する事が出来るだろう。じい様にも劣らない舞を披露出来れば、大名が機嫌を損ねる事も無い。
喜びに笑みを浮かべたイルカが、そのままじい様へ視線を向けようとした時だった。
「ただ・・・」
そう言ったカカシが、じい様へと視線を向けた。
「じい様の舞をマネる事は出来ても、じい様のように人を感動させられるような舞がオレに出来るかどうかは・・・」
不安なのだろうか。カカシの深蒼の瞳が僅かに揺れている。それを見たイルカの顔から笑みが消える。
(そうだ・・・)
舞はただ舞えばいいというものではない。
愛しさ、楽しさ、憎しみ、悲しみ。あらゆる情感を込められるよう幾年もの経験と修行を積み、そうして初めて、あの神々しいまでの舞が舞えるのだ。
その手の皺の一つ一つに刻み込まれたこれまでの経験が、じい様を里一番の舞手と云わしめている。いくらカカシが完璧にじい様の舞を真似る事が出来ても、年齢に拠る経験の差は如実に現れてしまうだろう。
じい様の舞を何年も見て目が肥えているだろう大名が、カカシの舞で満足してくれる保障はどこにも無い。満足のいく舞を披露出来なければ、じい様たちだけではなく、下手をすればカカシまでもお咎めを受けてしまう。
やはり大名へ上申するのが得策だろうか。
膝の上に置いた拳をぐっと握るイルカが、そう考えた時だった。
「それなら心配は無用じゃ」
聞こえてきた優しいその声に視線を向けると、じい様がその目尻にいくつもの皺を寄せ、声と同じく優しい笑みを浮かべていた。
「秋祭りに奉納したあの舞は、遠く離れた愛し人を想う恋情の舞じゃ。ただ恋しい人を思い浮かべながら舞えばよい。それなら、はたけ上忍にも出来る自信がおありじゃろうて。・・・のう?イルカ」
「え・・・っ!?」
イルカとカカシを交互に見るじい様からそう訊ねられたイルカは、その顔をかぁと羞恥に染めてしまっていた。
(じい様、俺たちの事に気付いて・・・っ)
いや。カカシが里に戻ってきた時、じい様もその場に居たのだ。気付かれない方がおかしいが、それでも。
カカシとは付き合い始めてまだ日が浅いからか、こうも面と向かって関係を指摘されると恥ずかしくて堪らない。
真っ赤に染まっているのだろう。火が出ているのではと思う程に熱くなっている頬を手の甲で覆い隠す。そんなイルカに苦笑していたカカシが、叱るようにじい様を軽く睨む。
「じい様。からかうなんて人が悪いですよ?」
カカシの苦言に柔らかな笑みを浮かべて見せていたじい様が、続いてその笑みをすっと消す。栗色の瞳がカカシを見上げる。
「・・・はたけ上忍。申し訳ないが小さな子供たちの為にも、今宵の宴、わしの代わりに舞ってもらえるかの」
じい様のその言葉に、カカシがその瞳を柔らかく細め一つ頷く。
「・・・大役ですが、オレで良ければ」
カカシの低く優しい声が了承を告げる。すると、じい様はホッとしたような笑みを浮かべ、そうして。
「ありがとう」
イルカは何もしていないというのに、イルカにまでも感謝の笑みを向けてくれた。




宴開始まで時間が無い。
本来ならばじい様に変化して舞うのが一番の良策なのだろうが、カカシは今夜が初めての舞踏だ。舞に集中出来るよう、変化するのは止めておいた方がいいだろうという事になった。
だが、カカシ用にと新たに演舞衣装を用意する時間は無く、カカシと共に衣装部屋へとやってきたイルカは、自分用にと事前に準備しておいた衣装の中から、最も見栄えのする白い狩衣を取り出した。
イルカに笛を教えてくれた神社の前神主から譲り受けた、イルカが一番大切にしている代物だ。
大きく開いた袖口にある袖括りの白い紐を引き抜き、じい様の衣装の中から借りた、金糸の混じる朱色の紐に替える。
これからカカシが舞うのは恋情の舞だ。白だけでは華が無いだろうと思った。
「俺用の衣装なので、カカシさんには少し小さいかもしれませんが・・・」
いつもの忍服から、朱色の目に鮮やかな単に着替えたカカシの前に両膝を付き、イルカはそう呟きながら濃い色合いの差袴と、それとは相反する真っ白な狩衣を着付けていく。
カカシは少し着痩せする人だ。忍服の下には、綺麗に鍛えられ均整のとれた身体を隠し持っている。
しなやかな筋肉を布越しでも感じさせる腰周りに腕を回し、最後の帯をしっかりと引き締める。
「でも、元々ゆったりとした衣装ですから。・・・大丈夫そうですね」
全体の調整を済ませ、そう言ってカカシを見上げるイルカから、ほぅと感嘆の溜息が零れ落ちる。
白を基調とし、所々に情熱の朱色を覗かせる狩衣姿のカカシは、その端正な顔立ちも相まって幻想的な雰囲気を醸し出していた。
イルカを見下ろすカカシが、ふと笑みを浮かべる。色白の節ばった手がゆっくりと、イルカへ伸びてくる。
「・・・なぁに?見惚れるほどイイ男なの?」
体温すら調節してみせる程の優秀な忍であるカカシの指先は、いつだって少しだけ冷たい。
その冷たい指先に頬を擽られながらそう訊ねられたイルカは、思わずこくんと頷いてしまっていた。
カカシの笑みが苦笑に変わる。その深蒼の瞳が愛おしそうに細められる。
(あ・・・)
それを見たイルカの顔が、今更ながらに羞恥に染まった。カカシの苦笑が深くなる。
「他の舞ならじい様に勝てる気がしませんが、こんなに可愛いイルカ先生を想いながらの恋情の舞なら・・・」
そう言いながら、カカシがゆっくりと膝を付く。見上げるイルカの唇に、優しい口付けがそっと落とされる。
「・・・誰にも負けない気がする」
「・・・っ」
イルカの瞳を覗き込むカカシから、至近距離で囁くようにそう告げられてしまったイルカは、さらに赤くなっただろう顔を俯く事で隠した。
そんなイルカの耳元でカカシの優しい声が響く。
「ねぇ、イルカ先生。あなたの事だけを想いながら舞うから、今夜はあなたもオレの事だけを想いながら吹いてくれる・・・?」
聞こえてきたその願いに小さく苦笑する。ゆっくりと顔を上げたイルカは、見つめてくるカカシを照れながらもしっかりと見つめ返し、その口を開いた。
「・・・一年前からずっと、恋情の舞の時はカカシさんの事を想いながら吹いているんです。じい様にも、音色に深みが増したってお墨付きを頂いてるんですよ?」
鼻頭の傷を掻きながら告げたイルカのその告白に、カカシが驚いた表情を浮かべる。
続いて、その眉尻を下げたカカシが、見ているこちらの胸が痛くなるほどの切ない表情を浮かべ、イルカの身体をそっと抱き寄せた。きつくきつく抱き締められる。
「ゴメンね・・・?ありがと・・・」
耳元で告げられる謝罪と感謝の言葉に小さく首を振る。そのイルカの胸に、カカシに逢えなかった間の苦しく切ない思い出が溢れ出す。
ゆっくりとカカシの背に手を回す。そうしてイルカは、浮かびそうになる涙をその瞳をそっと閉じる事で堪えた。