恋情に舞う夜 6






舞台の後は、大名からの好意で出される会席料理を楽しむ時間だ。
いつもなら、じい様や子供たちと共に頂くのだが、今回は、じい様の代わりに頑張ってくれたカカシとイルカだけでと、笑みを浮かべたじい様から帰り際にそう言われた。
―――わしらはお邪魔じゃろう?
じい様には随分と心配を掛けたせいか、じい様はイルカをからかって楽しむ事にしたらしい。帰り際にイルカへと顔を寄せたじい様からそう耳打ちされた時は、じい様に心配を掛けた過去の自分を本気で呪ってしまった。
これから先も、じい様には何かとからかわれる事になるのだろうと思うと沈んでしまうが、にこやかな笑みを浮かべる女中に「こちらです」と、案内された部屋へ一歩足を踏み入れた途端。
「ぅっわー、今回も美味そう・・・っ」
既に卓上に並べられていた美味しそうな料理を見てそう呟いたイルカの顔が、盛大に綻んでしまった。そんなイルカを見て、カカシと女中が揃って小さく吹き出す。
(ぅわ・・・っ)
それに気付いたイルカの顔が羞恥に染まる。年甲斐も無く、子供のようにはしゃいでしまった。
「・・・すみません。楽しみにしてたから、つい嬉しくて・・・」
徐々に小さくなる声でそう告げるイルカに、目尻に皺を寄せた女中が優しい言葉を掛けてくれる。
「いえいえ。イルカ先生は本当に美味しそうに食べて下さいますから、嬉しゅうございますよ」
そう言われ、イルカの顔に面映い笑みが浮かんだ。
美味しい料理を美味しいと思いながら食べていただけなのだが、それを喜んでくれている人が居るとは思ってもいなかった。
じわりじわりと、嬉しさがイルカの胸の中に広がる。
だが、イルカが笑みを浮かべていられたのはそこまでだった。
「・・・それでは私はこれで。もう遅い時間ですから、隣のお部屋にお布団も敷いてございますので」
女中のその言葉を聞いたイルカの瞳が、一瞬の間の後、大きく見開かれる。
「えぇ・・・ッ!?」
ついつい大声を上げてしまったが、驚いたのはイルカだけじゃなかった。カカシもその深蒼の瞳を僅かに見張っている。
「え・・・っ、何で・・・っ?」
「じい様が、子供たちのお食事の分を、お二人の宿泊代に回して欲しいと仰られまして・・・」
「・・・っ」
苦笑を浮かべた女中からそう説明されたイルカは、咄嗟にその場に座り込んでしまっていた。赤くなっているだろう顔を隠すように頭を抱える。
(もう・・・っ!どれだけ俺をからかえば気が済むんですか、じい様・・・っ)
心配を掛けてしまった覚えは嫌と言う程にあるから、からかって楽しまれるのは当然なのだろうが、カカシと一緒にお泊りを用意されるなんて、心臓が止まってしまいそうになるくらい恥ずかしい。
頭を抱え込んだまま、心の中でじい様に散々文句を言っているイルカの傍らに、しばらくしてカカシがそっと座り込む。
「・・・イールカ先生。女中さん、もう行っちゃったよ?顔、見せて?」
優しい声に促され、ゆっくりを顔を上げる。けれど、恥ずかし過ぎてカカシの顔をまともに見る事が出来ない。頭を抱えたままの腕の隙間から、傍らに座るカカシをそっと窺う。
羞恥に涙目になってしまっているイルカを見たカカシが、ふと小さく苦笑する。
カカシの手が伸ばされ、腕をそっと取られたイルカは、それに逆らう事無く、顔を隠していた腕を下ろした。口布を引き下げたカカシに、慰めるようにちゅっと軽く口付けられる。
浮かべていた苦笑を消したカカシに、そのまま至近距離からじっと見つめられ、イルカの胸が痛い程に高鳴り出す。だが。
「・・・ご飯、食べよっか」
「・・・・・・はい」
ニコと笑みを浮かべたカカシからそう促され、僅かな間の後頷くイルカは、少しガッカリしている自分に気付いた。
(いや、違うし!)
立ち上がったカカシに気付かれないよう両膝に顔を埋め、小さく首を振るイルカの顔が羞恥に染まる。
期待なんてしてない。次は少し深いキスをされるのかなと、ちょっと思っていただけだ。
そう自分に言い訳するイルカの唇が僅かに尖る。
(だって仕方ないじゃないか・・・)
数日ぶりに会ったというのにバタバタしてしまって、まだ軽いキスしかしていないのだから。
その事実に少し淋しくなりながら顔を上げ、漆黒に漆塗りされた重厚な卓へ着く。そうして額当てを取り去ったイルカは、「美味しそ。いただきます」と、端正な素顔を晒し手を合わせるカカシに習った。




料理はいつも通り美味しいのだろうと思う。けれど。
(味が分かんないや・・・)
背後にある襖の向こうに敷いてあるという布団の事が気になって、イルカは、あれ程楽しみにしていたというのに、美味しいだろう食事を心から味わう事が出来ずにいた。
心なしか、食欲も薄れてきたような気もするが、こういう時にしか食べる事の出来ない会席料理だ。残すのは恐ろしくもったいない。
もそもそと、手にした箸を口元へと運ぶイルカに気付いたらしいカカシが、ふと苦笑する。
「美味しくない?」
そう問われ、慌てて首を振る。
「いえ・・・っ、美味しいです!すっごく!」
必要以上に勢い込んでそう答えたイルカを見たカカシの苦笑が深くなる。
手にしていた箸を卓上へと置いたカカシが、柔らかな銀髪を揺らし、小さく首を傾げてみせる。
「・・・じゃあ、隣の部屋が気になって、食事どころじゃないとか?」
「・・・っ」
図星を言い当てられ固まったイルカの手から、漆塗りされた高そうな箸が零れ落ちた。畳の上へと転がってしまったそれを見て、カカシがゆっくりと立ち上がる。
イルカが落とした箸を拾い上げたカカシが、それを卓上へと置き、まだ固まっているイルカの傍らに膝を付いた。顔を真っ赤に染め、俯くイルカを覗き込んでくる。
「・・・イルカ先生」
小さく名を呼ばれ、イルカは恐る恐る顔を上げた。カカシの顔がゆっくりと近付き、そっと口付けられる。
「お口、開けて・・・?」
少し顔を離したカカシから囁くようにそう強請られ、イルカの心拍数が一気に跳ね上がった。イルカの僅かに震える唇が、ゆっくりと開かれる。
お利口さんだと褒めるようにイルカの唇を啄ばんでいたカカシが、僅かに顔を傾け、イルカの唇を塞ぐ。開いた唇の隙間から、カカシの熱い舌が入り込む。
「ん・・・っ、ぁふ・・・っ」
カカシとの久しぶりの口付けに喜ぶ自分を止められない。口付けの合間に、普段のイルカからは信じられないような甘い吐息が零れてしまう。
まだ食事の途中だとか、残したらもったいないとか。
「んん・・・っ」
口付けを止めなきゃと思うイルカの理性は、カカシに舌を強く吸われた事で霧散した。