いつも同じ場所で 4






(切ない)
イルカへの恋心を自覚してからというもの、イルカと一緒にいる時間がそれはそれは大切で。
何よりも楽しみなものであったはずなのだが。
イルカの家に呼ばれて、夕飯をご馳走になるようになってからというもの、切ない気持ちがカカシの胸を占拠して、素直に楽しめなくなってきている。
イルカの言動からは、カカシに好意は持っていても、恋心なんてものは少しも見えてこなくて。
カカシが勝手に好きになっているだけで、しかもその気持ちを伝えてもいないのだから、応えてもらえなくても仕方ないというのに。
少しくらい意識してくれても、なんて思ってしまう。
夏バテは、イルカの美味しい手料理のおかげですっかり良くなっているのだが、今度は恋煩いで食欲がない。
そんなカカシを見て、まだ夏バテが治ってないと思い込んでいるイルカが、せっせとカカシの為にと食の進む料理を作ってくれているから、他は食べられなくても、イルカの手料理だけはきちんと残さず食べるようにしている。
今日も、イルカの家のテーブルの前に大人しく座って、イルカの家の本棚から借りた本を眺めながら、台所でイルカが料理をするのを待っているカカシの視界に、大好物の秋刀魚が出す煙が映っていて。
もう秋刀魚の季節なのかと思った。
(秋になって涼しくなったら、夏バテっていう理由が使えなくなるな・・・)
理由が無いと、きっとイルカはカカシを呼んではくれないだろう。
こうしてイルカの家に来る事も、イルカの手料理を食べる事もなくなって、前のように電車で会うだけの関係に戻ってしまう。
それをイヤだとは思うけれど、カカシを全く意識していないイルカに、気持ちを伝える勇気なんて少しも無いし、伝えるつもりもなかった。
伝えて、イルカに避けられる方がイヤだった。
報われなくても良かった。少しだけでも一緒の時間を共有していたい。
それが例え、胸がきりきりと痛むほど切ない気持ちをカカシにもたらしていようとも。
「いい感じで焼けましたよ、秋刀魚」
そう言って、笑みを浮かべたイルカが台所から秋刀魚を乗せた皿を持ってくる。
イルカの手料理は本当に美味しい。
毎日でも構いませんからという、イルカの優しいその言葉に甘えて、本当に毎日のように通ってしまうほど。
夏休みの間中ずっと通って、夏休みが終わってもイルカの帰宅時間をわざわざメールで伺って、通い続けるほど。
数日前にあったカカシの誕生日にも、カカシはイルカの家で夕飯をご馳走になり、甘いものは苦手なくせに、イルカの為にと手土産に持参したケーキを一緒に食べた。
こっそり恋人気分を味わう為に。
相変わらず、カカシのプライベートな事を全く聞いてこないイルカに、自分の誕生日を押し付けがましく告げるわけにもいかなかったから。
誕生日をイルカと一緒に過ごせて凄く幸せだったけれど、決して本物の恋人同士ではないから、夜、イルカの家から帰る途中で見上げた満月が、とてつもなく切なく見えて。
カカシはそんな切なさが積もり積もって、イルカと一緒にいるのがつらいとまで感じるようになってきてしまっていた。
コトンと音を立てて、皿が目の前に置かれた。綺麗に焼けた秋刀魚に食欲をそそられる。
「ホントだ。美味しそうだね」
殆ど読んでいなかった本を閉じ、カカシも笑ってそう言うと、胸の痛みを今だけ無視して、イルカとの夕飯を楽しんだ。


自分の研究室の、本に囲まれてしまっている少し古びたソファに座って、手にした携帯をぽちぽちと弄る。
(『イルカ先生のおかげで、夏バテ治ったよ』・・・で、送信、と・・・)
横にぽいと用のなくなった携帯を放ると、カカシはソファの背に凭れてはぁと溜息をついた。
夏バテという理由が、ここ最近の涼しさから苦しくなってきて、とうとう治ったというメールをイルカに送ってしまった。
これで、イルカの家に行く理由がなくなった。
それを淋しいと思う反面、どこかホッとしてる自分がいて。
(そんなにつらいなら、やめればいいのに)
イルカへの恋心を無くしてしまえば、友人として側にいて、ただ楽しく会話をすることも出来るのかもしれない。そうすれば、もうこの胸の痛みを感じずに済むのだろう。
だが、それが出来ない事もカカシは充分知っていた。
少し近づいてしまったのが良くなかったのだろうか。
イルカの部屋の暖かい雰囲気と、イルカ手作りの料理。
そして、カカシも面白いと思った本を何冊もイルカの家の本棚で見つけて、その共通の話題に食事中ずっと花を開かせるという楽しい時間。
居心地の良すぎるその部屋に、また行きたいと思っている自分がいる。
もう呼んではもらえないというのに。
がしがしと頭をかいて、そのまま頭を抱えて背を丸め、蹲る。
視界に映る先には、テーブルに置かれた資料の山。
学会が一ヵ月後に迫っているというのに、まったく論文が進んでいない。最近は、寝ても覚めてもイルカの事ばかり考えていたから。
そろそろ頭を切り替えなければ、本当にまずい。
この際だから、学会の準備で忙しいのを理由にして、自分を誤魔化してしまおう。
呼ばれないから行けないのではなく、忙しいから行けないのだと。
実際、大学に泊り込むくらい集中してやらなければ、どう考えても間に合わない。
ブブとソファに転がったままの携帯が、メールの着信を知らせる。
二つ折りの携帯の画面をパチンと開いて受信したメールを見ると、それは先ほどメールを送ったばかりのイルカからの返信だった。
『良かった。でも、今朝もまだ顔色は悪かったから、無理はしないで下さいね』
受信時刻は、お昼過ぎを表示していて。この時間なら多分、小学校はお昼休み。
忙しいだろうに、わざわざ休み時間に返信してくれて、しかも心配してくれたイルカに、心の中でありがとうと告げた。
そして、しばらく会えないのがすごく淋しいよ、とも。


その日から、カカシは殆ど大学に泊り込みになった。
こんなぎりぎりまで論文を遅らせていた事なんてなかったから、寝食を削って資料と格闘しなければならなくて。今も、ちょっとふらつきつつ、机の上に崩れそうなほど積みあがった資料の隙間にパソコンを置き、論文を纏めている。
もう一ヶ月もイルカと会っていない。
泊り込んだ初日の朝、カカシと電車で会わなかった事を心配したイルカが、『大丈夫ですか?倒れてませんか?』とメールを送ってきてくれた。
それに、『学会が近いから忙しくて、しばらく大学に泊り込みになりそう』と返信して、『大変ですね。頑張って下さい』と返事を貰った。
それ以来、メールのやりとりは全くない。
忙しいと言った手前、用もないのにメールを送るのは躊躇われたし、実際忙しすぎてメールを送る暇も無い。
朝の通勤電車で会わないだけで、こんなにもあっさりとイルカとの繋がりが途絶えてしまうのが、悲しいを通り越して笑えるほどで。
本当に、イルカはカカシの事なんて何とも思っていないのだという事実は、あまり寝ていなくて疲れた体には堪えたが、それでも論文を落とすわけにはいかないから。
パソコンを使う時だけ掛けている眼鏡が、自分でも気づかないうちに俯いてしまっていたせいで少しだけずれた。細い銀縁のフレームを押し上げて修正する。
カカシは、ともすればイルカで占められてしまう頭を、目の前の論文に集中させると、再びキーを叩き始めた。
今週金曜日にある学会まで、あと三日だ。死に物狂いで仕上げなければ間に合わない。
でも、これが終わったらあの電車でイルカに会える。
カカシはその事を励みに、疲れた体に鞭打って不眠不休で頑張った。