きっとまた手を繋ぐ 3






ひしめき合う建造物の合間。
爽やかな青空がカカシの頭上に広がっていたが、僅かに俯くカカシの視界にそれが映り込む事は無かった。
世界中を揺るがした第二次忍界大戦は終結したが、国境付近での小競り合いは未だに続いている。
一見穏やかに見える木の葉の里であるが、一歩でも里の外に出れば、そこは戦場のような薄暗い時代だ。
自分のような子供でも引く手あまたなのは、あまり喜ばしい事ではないのだろう。受付所で偶然一緒になり、隣を歩く父―――サクモの影が、自分の様子を心配そうに窺っているのが分かる。
早く大人になりたい。
自分の影を頑なに見つめながら、大人には程遠い小さな手をきつく握り締めるカカシは、もう何度思ったか知れない事を再び強く思う。
―――まだ子供じゃないか。本当に大丈夫なのか?
盛大に眉を顰める依頼主からそう告げられたのも、もう何度目だろうか。
僅かに俯くカカシの額。太陽に照らされ輝く額当ては、木の葉の忍だという証であるが、いくら鍛錬したとしても年齢による身体の未熟さは補えない。
依頼主が不安に思うのも当然だ。悔しく思うのは間違っている。
間違っていると分かってはいたが、まだ子供だと侮られたのはやはり悔しかったらしい。完璧に任務を遂行しようと必要以上に動いたからか、チャクラが残り少ない。
僅かにふら付くカカシの足元。
気付かれていないと良いと願ったが、やはりというか、気付かれてしまったのだろう。
「・・・まだまだ子供だな、カカシ」
ふと小さく苦笑したらしいサクモからそう告げられ、俯くカカシの眉間に途端に皺が寄る。
傍らを歩くサクモを勢い良く見上げ、父さんまでそんな事を言うのかと言い返そうとしたカカシは、だが、その言葉を発する事無く喉奥へと飲み込んでいた。
そんなカカシに気付いたのだろう。カカシを見下ろすサクモが小さく首を傾げる。
そのサクモの背後。
建物の合間から見える遠い崖の上。そこにある大きな木の枝先に、カカシよりも少し小さな男の子がぶら下がっている。
(・・・何だ・・・?)
忍の目は優秀だ。僅かに瞳を眇めて見つめる先、その子が今にも崖下へ落ちそうになっている事に気付いたカカシの深蒼の双眸が大きく見開かれる。
「おい、カカシ!」
「子供が崖から落ちそうになってる!」
サクモの傍らを擦り抜け、大きく跳躍するカカシへとサクモが声を掛けて来るが、振り返る事もせずにそう叫び返すカカシは、片手で枝を掴むその子に視線を当てたまま崖に向かって一心に駆けていく。
(間に合うか・・・っ)
いや、間に合わせなければ。
高過ぎる崖だ。落ちればあの子の命は無い。
民家の屋根を伝いながら、このままでは間に合わない事を知ったカカシは、残り少ないチャクラを使い、素早く瞬身の印を組む。
「・・・しっかりしろ・・・っ、今助けてやる・・・!」
男の子の手が木の枝先から離れた次の瞬間。
枝上に降り立ち、辛うじて掴んだその子の暖かい手をきつく握り締めるカカシは、恐らく子猫を助けようとしたのだろう。男の子の腕に小さな子猫がしっかりと抱かれている事に気付き、その深蒼の瞳を僅かに見開いていた。
そんなカカシをゆっくりと見上げてくる綺麗な漆黒の瞳。
助けるというカカシの言葉に安堵してしまったのか、微かに笑みを浮かべたその子の意識がふっと失われる。
「・・・っ!」
途端、カカシの腕に掛かる重みがズンッと増し、ぐっと奥歯を噛み締めるカカシは内心チッと舌打ちしていた。
ただでさえ少なくなっていたチャクラが、先ほど瞬身したせいだろう。もう殆ど残っていない。
(・・・くそ・・・っ)
霞み始めた瞳を懸命に眇め、子猫を助けようとした心優しい子を何とか助けたいと思うものの、男の子の暖かい手はカカシの指先からずるりと擦り抜け、崖下へと落ちて行った。



上忍寮にあるカカシの自室。窓際に置かれたベッドを、目覚め始めた太陽が薄っすらと照らしている。
そのベッドの上。
「―――ッ!」
ひゅっと息を呑みながら、閉じていた瞳を大きく見開いたカカシの深蒼の瞳が動揺に揺れる。
何かを掴み取ろうと天井に向かって伸ばされていた手。
それをゆっくりと引き寄せるカカシは、その手の甲をそのまま、薄っすらと汗が滲む自らの額に押し当てた。詰めていた息を細長く吐くカカシの深蒼の瞳が、そっと閉じられていく。
(・・・随分と見てなかったのに・・・)
幼い頃、イルカを助けられなかった時の出来事を夢で見たのは久しぶりだ。
イルカを伴侶に迎えて以降、随分と見ていなかったはずの夢を再び見た理由は分かっている。
イルカに会ったからだ。
あのイルカの教え子だっただけはある。誰一人として合格者を出した事の無かったカカシの試験を、見事合格してみせた三人の子供たち。
その元担任であるイルカと、カカシは上忍師として初めて顔合わせをした。
―――初めまして、カカシ先生。
自分で記憶を封じたのだ。
イルカが覚えていないのは当然だというのに、にこやかな笑顔で「カカシ先生」と呼ばれ、自分を覚えていないイルカに動揺している自分が居た。
いや、違う。
覚えていなかったからではない。
自分へと向けられたイルカの瞳に、自分への愛情が欠片も覗えなかったからだ。
イルカに一目惚れしてもらえるとでも思っていたのか、期待していた自分が笑える。
自分へと向けられるイルカの愛情を伴わない漆黒の瞳。
伴侶となる数年前までは、視線すら向けられない事が当たり前だったはずなのに、愛情が込められたイルカの漆黒の瞳に、至近距離から見つめられる喜びを知ってしまったからだろう。自分を忘れてしまったイルカに視線を向けられる事が、こんなにも辛いとは思ってもいなかった。
小さく溜息を吐くカカシの口元に、ふと小さく歪んだ笑みが浮かぶ。
(・・・辛いねぇ・・・)
しっかりと繋いでいたイルカの手。
それを一方的に離してしまった自らの手の甲を額に押し当て、瞳を閉じたまま焦がれるようにイルカを想うカカシの姿を、昇り始めた太陽の柔らかな春の日差しが優しく照らしていた。