きっとまた手を繋ぐ 5






里の入り口である大門から受付所へと続く道。
月が沈み太陽が昇るまでの短い闇夜に、任務を終えて帰還したばかりのカカシの銀髪がぼんやりと浮かび上がっている。
これでも忍であるからして、闇夜でも目が利かないという事は無いが、写輪眼を使い過ぎたからだろう。足元が少々覚束ない。
報告書を提出して上忍寮に戻るまで、チャクラ―――というより、気力が持つだろうか。
受付所へと向かいながらガシガシと銀髪を掻くカカシから、小さな溜息が零れ落ちる。
上忍師となって以降、必ずと言って良いほど危険が伴うSランク任務は免除されているが、上忍としての任務が免除されている訳ではない。
昔に比べれば平穏ではあるが、写輪眼を有するカカシしか請け負う事の出来ない任務は多々存在する。
(ていうか、今回の任務は絶対Sランクでしょ・・・)
今回、Aランクとして就いたはずの任務は、だが、限りなくSランクに近かった。
任務を依頼した依頼人が隠していたのだろう。依頼書に書かれていなかった事実が発覚し、不測の事態が発生したのだ。
事前に準備していた忍具では対応出来ず、任務は何とか完遂出来たものの、二の腕を軽く負傷してしまった。
利き腕でなかったのが不幸中の幸いだが、自分だったからこの程度の怪我で済んだのだ。事実を隠していた依頼人には厳しく対処して貰わなければならないだろう。
受付所を有する建物の前。もう何度目になるか分からない溜息を小さく吐いていたカカシの足が、建物の中から近付いて来る見知った気配に気付き、不意に止まる。
「・・・イルカ先生が居るの?」
小さくそう訊ねるカカシの足元。そうだと言うように見上げて来たのは、イルカの記憶を封じて以降、カカシがイルカの警護の為にと独断で付けている中型の忍犬だった。
子供たちとの任務報告書を提出した夕刻、受付に入っているはずのイルカの姿を見掛けないと思っていたら、また誰かに頼まれでもしたのだろう。深夜勤務と代わっていたらしい。
「・・・そっか。いつもありがとね」
忍犬を見下ろす深蒼の瞳を柔らかく細め、手甲に覆われた手で忍犬の頭を軽く撫でた後、カカシは止めていた足を受付所へと向ける。
子供たちの事で相談があると持ち掛け、イルカと二人きりで呑みに行って数日。
受付所で会うと笑みを向けてくれるようになったイルカとは、子供たちの話題ばかりではあるが、一言二言会話をするようになっている。
子供たちの事を嬉しそうに聞くイルカを見るのは正直辛いが、イルカの笑みを見るのは単純に嬉しい。
手に持っているのは子供たちとの任務報告書ではないが、イルカはきっと、「お疲れ様でした」と笑みを浮かべて見せてくれるだろう。
イルカに会えると分かった途端、先ほどまで感じていた疲労感が消え、イルカの気配がする受付所へと辿り着き、扉に手を掛けるカカシの口元に自然と笑みが浮かぶ。
「・・・あ」
書類棚を整理していたのだろうか。受付所の扉をがらりと開けた途端、カウンターではなく棚の前に立つイルカと視線が合い、「こんばんは」と挨拶するカカシは、イルカを見つめる深蒼の瞳を柔らかく細めていた。
「お疲れ様です、カカシ先生」
思っていた通り綻ぶような笑みを浮かべてそう言ってくれたイルカが、カカシの手にある報告書に気付いたのだろう。棚の前からカウンターへと移動する。
「お預かりしますね」
「お願いします」
そうして、カウンターに着いたイルカの前に立ったカカシが、手に持っていた報告書を差し出した時だった。
「・・・もしかして、腕に怪我をされてませんか?」
報告書を受け取りながら訝しそうに首を傾げるイルカからそう問われ、カカシの深蒼の瞳が僅かに見開かれる。
―――隠しても無駄ですよ、カカシ様。俺にはすぐに分かるんですから。
イルカに心配を掛けたくないと、結婚当初からカカシは、少しの怪我なら隠す事が多かった。そんなカカシへと、怒ったような顔をしてそう言っていたイルカの姿が、カカシの脳裏で鮮やかに蘇る。
「・・・よく・・・」
声が掠れているのは、心が歓喜しているからだ。
怪我と言っても打撲と少しの裂傷程度で、出血はそれ程していない。多少薄汚れてはいるが、傍目に見ても、カカシが怪我をしているとは誰も気付かないだろう。
実際、一緒に任務に就いていた部下たちは気付いていなかった。
気付かれないようにと隠していたのだから当然だ。そんなカカシの怪我にイルカが気付いたのは、イルカがカカシの事を良く見ている証拠に他ならない。
イルカの態度を見ても、自分を好きになってくれたと考えるのは時期尚早だろう。だが、子供たちにしか目を向けていなかったイルカが、隠していた怪我に気付くほど自分に目を向けてくれている。
カカシにとってはそれが、狂おしいほどに嬉しかった。
「・・・オレがケガしてるって、よく分かりましたね」
僅かに震えてしまっている声でそう告げると、腕の怪我に気を取られているのか、カカシの声が震えている事には気付かなかったらしい。
やっぱりという顔をしたイルカは、「なんとなくそんな感じがしたんです」と苦笑して見せた。カカシから受け取った報告書を置き、着いたばかりのカウンターから立ち上がる。
「先に怪我の手当てをしましょう。後ろのソファに座ってて下さい」
「あ、いえ・・・」
たいした怪我じゃない。
そう続けようとしたカカシの言葉を、柔らかくも力強いイルカの声が遮る。
「座ってて下さい」
手当てしなければ気が済まないのだろう。上忍であるカカシに対しても有無を言わせない勢いでそう言われたカカシは、盛大に苦笑してしまっていた。
イルカに言われた通り、受付所の一角に設置されているソファに腰掛け、カカシは救急箱を持って来てくれたイルカの手当てを受ける。
隣に座るイルカが近い。
僅かに俯くイルカの意外に長い漆黒の睫や、その息遣いまでもが聞こえそうな距離。腕に触れるイルカの手は温かく、手当てしてくれているイルカをじっと見つめるカカシの深蒼の瞳が切なく眇められていく。
少し手を伸ばせばイルカの滑らかな頬に触れる事が出来るが、今はまだその時期ではない。
イルカに伸ばしそうになる手をぐっと堪え、だが、愛しいイルカを不自然な程に見つめているカカシに気付いたのだろう。カカシの腕に包帯を巻いていたイルカの視線が上がった。
「・・・痛いですか?」
心配そうに小さく首を傾げるイルカからそう尋ねられ、カカシの深蒼の瞳が柔らかく細められる。
「大丈夫ですよ。・・・ありがと、イルカ先生」
胸に湧き起こる愛しさと、手当てしてくれた感謝の念を込めてそう告げると、間近から真っ直ぐに見つめられて照れ臭かったのだろう。
「い、いえ・・・っ」
僅かに頬を染めたイルカが、慌てたように手元に視線を戻した。
可愛らしいその反応に笑みを深めながら、包帯を巻いていくイルカを見つめるカカシは、イルカの心の片隅に棲み付いた自分という存在が、どんどん大きくなっていく事を願っていた。