きっとまた手を繋ぐ 6






そろそろ梅雨入りするのだろう。
五月も終わりに近付き、初夏を思わせる爽やかな風に雨の匂いが混ざる事が多くなって来た。
自然と雨が多くなる時期であるが、二人の記念日でもあるイルカの誕生日は不思議と晴れる事が多い気がする。
テウチの声に送られながら一楽の暖簾を潜り出てすぐ。沈み行く綺麗な夕日に照らされたカカシの深蒼の瞳が柔らかく細められる。
その視線の先にあるのは、ナルトを腰に纏わり付かせながら、申し訳なさそうな表情を浮かべて小さく頭を下げて見せるイルカの姿だ。
怪我の手当てをしてくれた礼にと呑みに誘い、それからも何度か呑みに行っているが、いつもは割り勘だ。ラーメンとはいえ、ナルトだけでなく、自分までも奢ってもらった事を気にしているのだろう。
「すみません、カカシ先生。俺まで奢ってもらってしまって・・・」
待ってくれていた二人に近付いた途端、そう告げられたカカシの口元にふと小さく苦笑が浮かぶ。
(・・・相変わらずだな)
誕生日くらい我侭を言っても構わないというのに、遠慮する所は以前から全く変わっていない。
そんなイルカの愛情を再び得る為の努力を日々重ねているカカシであるが、二人が改めて知り合ってまだ一ヶ月と少しだ。
―――今日はオレがイルカ先生にラーメン奢ってやるんだってばよ!
任務終了直後、今日がイルカの誕生日である事を知っていたらしく、そう言って駆け出そうとしたナルトを捕まえる事が出来て本当に良かった。
さすがに今年の誕生日は一緒に過ごせないのだろうと思っていただけに、ナルトと一緒ではあったが、少しだけでもイルカと共に過ごす事が出来て嬉しい。
「今日はイルカ先生の誕生日でしょ?構いませんよ」
柔らかな笑みを浮かべながらそう告げるカカシの視界。
「ありがとうございます。・・・お前も、ありがとうな」
嬉しそうにそう礼を言ってくれたイルカの視線が逸らされ、ナルトへと向けられたイルカの漆黒の瞳が柔らかく細められる。
自分へは向けられなくなったイルカの慈愛に満ちた瞳。それを見るカカシは、その深蒼の瞳を僅かに切なく眇めていた。
イルカの中での一番は相変わらず子供たちのようだが、だが、片隅に棲み付いた自分という存在も、徐々にその心を占めて行っているらしい。
「それじゃ、オレはこれで」
カカシがそう告げた途端、カカシへと視線を戻したイルカの漆黒の瞳が、ほんの僅かではあるが淋しそうに翳った。
そんなイルカを見つめる深蒼の瞳をふと愛おしそうに眇め、カカシは名残惜しさを感じながらも、イルカの腰に纏わり付いているナルトの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
今日、イルカと共に過ごせたのはナルトのお陰だ。
「明日も任務だからな。遅刻するんじゃないぞ、ナルト」
「・・・カカシ先生にだけは言われたくないってばよ」
明日は修行を見てやろうと考えながらそう告げると、憮然とした表情を浮かべるナルトにそんな事を言われた。確かにそうだと苦笑して見せたカカシは、傍らに立つイルカへと視線を向ける。
「・・・また一緒に呑みましょうね、イルカ先生」
誕生日の夜に一人にしてしまう事を心の中で謝罪し、小さく笑みを浮かべながらそう告げると、イルカは「はい」と嬉しそうに笑って頷いてくれた。




長雨が続いた梅雨も終わりに近付いた頃。
幾度かイルカと呑みに行くうち、カカシの気持ちに暗に気付いたのだろう。僅かではあったが、イルカが自分を意識してくれるようになった。
そろそろ自分の気持ちを伝えてみても良いかもしれない―――。
子を成せない仲であるが、それでもイルカが自分を選んでくれるかどうか確かめる、重要な第一歩となるイルカへの告白だ。受け入れて貰わなければ話にならない。
イルカの気持ちをそれとなく探り、駆け引きするような心地良い緊張感を保ちつつも、告白するに最も適した機会を慎重に窺っていたそんなある日。
子供たちと共に就いた波の国での任務で、カカシは白という名の子供をその手に掛けた。
ナルトたちと同じくらいの年の子だ。
どうしようもない状況だったと頭では分かっていても、任務だったのだといくら言い聞かせても、人を―――特に子供を殺めれば心のどこかが必ず悲鳴を上げる。
いかなる状況下に置かれても冷静さを失わない優秀な忍。
そう謳われているカカシであるが、何の事は無い。自分の心を押し殺すのが上手いだけだ。
―――・・・辛い時は、それを隠さなくていいんですよ・・・?
イルカと共に在った頃。暗部としての任務に就く事の多かったカカシは、だが、その身に血臭を纏わせて帰る事は決して無かった。
いくら任務だと言っても、人を殺めた事をイルカに知られたくなかったからだ。
イルカの前でも努めて平静を保っていたつもりだったが、聡いイルカは、カカシの心が悲鳴を上げている事にすぐに気付いたのだろう。
―――・・・俺の前では隠さないで下さい、カカシ様。
淋しそうな笑みを小さく浮かべながらそう言って、温かなその腕でカカシを優しく抱き締めてくれた。
あの頃も今も、イルカの本質は変わらない。
イルカの中に棲み付いた自分という存在が、大きくなって行く様を見ていたからだろう。
怪我の時と同様、悲鳴を上げるこの心にも気付いて貰えると期待していたのか、里に帰還した直後。受付所で会ったイルカからナルトの事ばかりを訊ねられ、弱っていたカカシの心に激しい嫉妬心が沸き起こった。
子供相手に嫉妬するなんて愚の骨頂だ。
―――・・・尊敬するあなたに追い付くくらいに。
だが、イルカに気遣って貰えなかった事で勝手に傷付いたカカシからは、そんな嫌味が口を突いて出た。
カカシのその言葉が嫌味だとは気付かなかったのだろう。それを聞いたイルカが気を悪くしたような様子は窺えなかったが、その分、カカシの自己嫌悪は激しさを増した。
殆ど八つ当たりのようなものだったからだ。
(・・・何やってるのよ・・・)
受付所を出た後、廊下を歩きながら大きく溜息を吐くカカシは、綺麗な夕日に照らされ光輝く自らの銀髪をガシガシと掻く。
その脳裏に思い浮かぶのは、漆黒の瞳を不安そうに揺らしながら見上げて来ていたイルカの姿だ。
カカシから受け取った報告書をチェックしていくにつれ、カカシが子供を手に掛けてしまった事を知り、カカシの胸の内をも推察したのだろう。報告書を読み進めるイルカの眉根には深い皺が刻まれて行った。
―――・・・もうイイ?
報告書を最後までチェックした後。カカシにどう声を掛ければ良いか迷っているらしいイルカに気付き、そう問い掛けたカカシのその声に、ほんの僅かではあったが、棘が含まれてしまったのはカカシの失態だ。
イルカには何の落ち度も無いというのに、一方的に負の感情をぶつけてしまった。
これまで柔らかな声しか聞かせておらず、突然冷たく声を掛けられて動揺したのだろう。僅かに震える声で告げられたイルカの「結構です」の言葉が、カカシの耳奥で木霊している。
(・・・ゴメンね、イルカ先生・・・)
傷付ける言葉をさらに発しそうで、逃げるように受付所を後にしてしまったが、今度イルカに会った時、八つ当たりしてしまった事を謝らなければ。
夕日に染まる里の景色が切り取られた廊下の窓。その窓の外を眺めるカカシは、深蒼の瞳を切なく眇めながら小さく溜息を吐いた。