きっとまた手を繋ぐ 7






イルカに八つ当たりした、その直後だった。
緊急招集された者たちと三代目火影を前に、自らが担当する子供たち全員を中忍選抜試験に推薦したカカシは、子供たちの身が心配だったのだろう。八つ当たりした事を謝ろうと思っていたイルカと衝突した。
もっと場数を踏ませてから―――。
そう訴えるイルカから、「推薦理由が分かりかねる」と言われた時はまだ良かった。
数多くの任務をこなして来た子供たちが目覚ましい成長を遂げている事を、イルカは知らないだろうからだ。
それを知る切っ掛けとなった波の国の一件で、カカシは子供たち全員を中忍選抜試験に推す事を決めたが、それだけではない。
カカシが中忍になったのは、推薦した子供たちがアカデミーに入った頃だろう六歳の時だ。
自分が歩んで来た道を子供たちに歩ませる気は更々無いが、千尋の谷に突き落とされるが如き経験も時には必要だろう。
―――ナルトはあなたとは違う!
だが、記憶を無くす前のイルカなら知っていた事実を伝えた途端、怒号のように告げられたその言葉は、カカシの胸を抉るのに充分な威力を持っていた。
イルカが自分の事を想ってくれているならば、絶対に出て来なかっただろう言葉だ。
それを受け、傷付いたカカシの心に続いて沸き起こったのは、燃え上がるような嫉妬の焔だった。
両親を殺した九尾を腹に宿しているとはいえ、イルカの幼い頃と環境が似ているナルトが大事なのは良く分かる。
結婚した当初から、イルカの口からはナルトの事が良く語られていたからだ。
けれどその頃のカカシは、ナルトを初めとした子供たちに嫉妬なんてしていなかった。
子供たちを大事にしているイルカの中には、子供たちよりも大事な神様―――即ち、自分という存在が居たからだ。
神様という存在が無ければ、自分はイルカの中で一番になれない―――。
イルカから神様と自分に関する記憶を封じた後、イルカの中での一番を目指していたカカシにとって、その事実は、鉄壁だったはずの理性を軽く吹き飛ばすのに充分だった。
一度、痛い目を味わわせてみるのも一興。
つぶしてみるのも面白い。
そんな心にもない事を告げてイルカをさらに怒らせ、仕舞いには。
―――口出し無用!アイツらはもうあなたの生徒じゃない。・・・今は・・・私の部下です。
キツイ口調でそう宣言し、さらに言い募ろうとしていたイルカを黙らせた。
言った自分もキツイ言い方だと思ったのだ。言われた方であるイルカは、カカシのその言葉でどれだけ傷付いた事だろう。
いつもそうだ。
醜く嫉妬したり、子供じみた我侭を言ったり。
幼い頃から忍として生きて来たカカシは、感情のコントロールには長けているはずなのに、片恋していた期間があまりにも長かったからだろうか。イルカが関わると、こうも簡単に感情が乱れてしまう。
だが、こんなにも乱れた感情をイルカにぶつけた事はこれまで一度として無く、嫉妬に駆られた自分が口にした言葉が愛するイルカを傷付けた。
そう思うと、カカシは自分を許す事など到底出来そうにもなかった。





イルカと言い争いをしてから早くも一ヶ月以上が過ぎたが、イルカには謝罪どころか、まだまともに話すら出来ていない。
前日から降り続いていた夏の雨がようやく止み始めた頃。
参列者の列に並び、濡れる口布の下、ふと小さく溜息を吐くカカシの視線の先にあるのは、祖父である三代目火影を亡くし、泣きじゃくる木ノ葉丸の側にそっと寄り添うイルカの姿だ。
自分を実の息子か孫のように可愛がってくれていた三代目が亡くなったのだ。
イルカの悲嘆は容易に想像出来たが、イルカの悲しみを湛える漆黒の瞳に涙が浮かぶ様子は窺えなかった。
いや―――。
(・・・泣けないんだろうな・・・)
自分の悲しみを堪え、周囲の者を気遣うのがイルカだ。
家に帰った後、一人涙するのだろうイルカを思うと胸が痛いが、今のカカシにイルカを慰める資格などあるはずもなかった。
「・・・イルカ先生」
参列者の先頭。顔岩を見上げるナルトが、不意にイルカの名を呼ぶ。
「・・・なんで人は・・・人のために命をかけたりするのかなぁ・・・」
独り言のように小さく、ナルトからそう問われたイルカが静かに語り始め、それを聞くカカシは、いつしかその深蒼の瞳を見開いていた。
「・・・大切に思ってきた人たちとの繋がり。その繋がった糸は、時を経るに従い、太く力強くなっていく・・・」
イルカのその言葉で、カカシはようやく気付かされる。
手を離してはいけなかったのだ。
長い間欲し続け、ようやく繋げたはずのイルカとの絆。
細い糸を擦り合わせるように、少しずつ太く強くしていかなければならなかったイルカとの大切な絆を、不安に心を覆い尽くされたカカシは、太くするどころか一方的に断ち切ってしまった。
その事に気付き、深蒼の瞳を切なく眇めるカカシの手甲に覆われた手がきつく握り締められていく。
(・・・オレは・・・)
何という事をしてしまったのだと後悔してみても遅い。イルカはもう二人が伴侶だった事を忘れてしまっている。
カカシの元に集まる子供たちを見送るイルカが、何を想っているのだろうか。口元に小さく笑みを浮かべながらも、その漆黒の瞳を切なく眇める。
その姿を複雑な想いで見つめるカカシは、カカシの視線に気付いたのだろう。イルカからふと視線を向けられるも、逃れるようにその深蒼の瞳を伏せた。
そのままイルカに背を向け、集まった子供たちと共に歩き始める。
雨が止み、雲間から日が差し込み始めた空は泣きたくなる程に綺麗な色をしていた。
その様が映り込む水溜りを見下ろすカカシは、口布の下、ふと小さく自嘲の笑みを浮かべる。
繋がりを断ち切るばかりの自分とは一緒に居ない方が、イルカは幸せなのかもしれない。
温かい家庭を持ち、たくさんの子供たちに囲まれて暮らした方が、イルカはきっと幸せだ。
「・・・カカシ先生、どうかした?」
カカシの様子がおかしい事に気付いたのだろう。傍らを歩くサクラから気遣わしそうに声を掛けられ、カカシの口元にふと小さく苦笑が浮かぶ。
イルカと誰かが共に在る様を想像しただけで、サクラに気付かれてしまう程に動揺してしまった自分が情けない。
「何でもないよ、サクラ」
深蒼の瞳を柔らかく細めながらそう告げるカカシからは、もうどこにも動揺の色など窺えず、それで納得してくれたのだろう。
「そう?ならいいけど」
そう言って一つ笑みを浮かべて見せたサクラは、先を歩くサスケの元へと走って行った。
三人並んで歩く子供たちの姿を視界の端に捉えながら、カカシは太陽が覗き始めた空を仰ぎ見る。
(・・・また昔に戻るだけだ・・・)
イルカを自らの手で幸せに出来ないのはかなり辛いが、イルカを遠くから見守っていた頃に戻るだけだ。
この胸の痛みも、いつかきっと癒える日が来る。
そう自分を誤魔化してみるも、イルカに愛される喜びを知ってしまったからだろう。イルカを失って慟哭する自らの心が癒える日など、永遠に来ない事を知り絶望するカカシは、それから数日後、里に侵入したイタチの術により昏倒した。