きっとまた手を繋ぐ 8 カカシには、誕生日を誰かに祝って貰ったという記憶があまり無い。 幼い頃は、父であるサクモに祝って貰っていた記憶があるが、唯一の肉親だったサクモが亡くなってからは、誕生日を誰かに祝って貰う事は殆ど無かった気がする。 「・・・カカシ様。起きて下さい、カカシ様」 晩夏の朝日が差し込むベッドの上。朝食が出来たのか、台所から戻って来たイルカからそう声を掛けられるも、柔らかい枕に片頬を埋めるカカシは眠った振りを続けてみる。 「カカシ様」 カカシの狸寝入りに気付いているのだろう。ちょっと困ったように名を呼ばれ、カカシはその深蒼の瞳を少しだけ開く。 「・・・キス」 ベッドの端に片手を付き、自分を見下ろすイルカへと視線を向けたカカシは、少しだけ掠れた声で目覚めのキスを小さく強請った。 途端、イルカの顔が真っ赤に染まり、その可愛らしい反応を見たカカシの深蒼の瞳が柔らかく細められる。 愛妻であるイルカは、かなりの恥ずかしがり屋だ。してくれないだろうと半ば諦め掛けていた願いだったが、誕生日だから特別なのだろうか。 カカシの深蒼の瞳に落ち掛かる銀髪をそっとかき上げたイルカは、その顔をこれ以上無い程に赤く染めながらも、柔らかな口付けを一つ落としてくれた。 「・・・お誕生日おめでとうございます、カカシ様」 そうして、まるで自分の方が祝われているかのように嬉しそうな表情を浮かべるイルカから、カカシの誕生日を祝う言葉が告げられる。 「ん。ありがと、イルカ先生―――」 面映くも幸せな時を迎えたその瞬間。カカシは深く深く堕ちていた夢の世界から、愛妻を自ら手放してしまった現実の世界へと引き戻された。 木の葉病院のベッドの上で長い夢から目覚めたカカシを待っていたのは、ナルトが自来也と共に里へ連れ戻したという五代目火影・綱手だった。 大蛇丸による木の葉崩しで大きく崩壊していた里も、カカシが眠っている間に随分と復興が進んだらしい。上忍寮にある自室の窓から見える里の風景は、以前とあまり変わらないように思えた。 誰かが掃除を頼んでくれたのだろう。綺麗に整えられていたベッドに腰掛けるカカシから、ふと小さく溜息が零れ落ちる。 その視線の先にあるのは、目の前の壁に掛けられたカレンダーだ。それが八月から九月へと変わっていた事で、カカシは自分の誕生日が過ぎている事を改めて思い知る。 (・・・来てくれるわけがない・・・か・・・) イルカの誕生日を祝った数日後だっただろうか。どうしてもお礼をしたいと言ってくれたイルカと呑みに行った席で、カカシはイルカに誕生日はいつかと尋ねられた。 自分の誕生日を祝って貰ったのだから、自分も―――。 律儀なイルカの事だ。カカシの誕生日がいつなのか尋ねたのは、そんな理由からだったのだろうが、誕生日をイルカと共に過ごせる機会をカカシが逃すはずもない。 イルカの誕生日は無理だったが、自分の誕生日は、恋人となったイルカと共に過ごせるかもしれない。 そんな期待を胸にイルカへの想いを募らせたカカシはその時、美味い酒を用意するから、自分の誕生日に一緒に呑んで欲しいと願った。 珍しい酒に釣られてくれたのかもしれないが、「そんな事でいいんですか?」と快く了承してくれたイルカの嬉しそうな笑みは、今でもはっきりとカカシの脳裏に焼き付いている。 どんな小さな約束でも守るのがイルカだが、中忍選抜試験の一件であんなに激しく言い争いをしたカカシとの約束だ。 反故にされて当然だとは思うが、あまりにも幸せな夢を見ていたからだろう。上忍寮の自室の前で待ってくれているのではと期待してしまっていた自分が、いっそ哀れな程だった。 カレンダーから視線を逸らすカカシの口元に自嘲の笑みが小さく浮かぶも、窓の外に召集を知らせる小鳥が現れ掻き消える。 (・・・もう任務か) だいぶ復興が進んでいるように見える里だが、戦力までは補えていないらしい。 小さく溜息を吐きながらベッドから立ち上がり、急いで装備を整える。そうしてカカシは、任務の前にサスケの様子を見ておこうと向かった病院で、ナルトとサスケが衝突する場面に遭遇した。 仲間であると同時にライバル―――。 ナルトとサスケは、かつてのカカシとオビトのような関係だ。 仲間を大事にするナルトと、復讐に取り憑かれたサスケ。どちらが先に仕掛けたのかは容易に想像が付き、自来也にナルトを託したカカシはサスケの後を追った。 「何なら今からアンタの一番大事な人間を殺してやろうか!」 逃げられないようにとサスケを拘束した木の枝上。 勢いだったのだろう。口元を歪ませながらそう告げるサスケを見下ろすカカシは、その深蒼の瞳をほんの僅かだが切なく眇めていた。 母に始まり、父サクモ。それから四代目火影、オビト、リン―――。 大事だと言える人間は皆、カカシを置いて先に逝ってしまっている。 イルカだってそうだ。 カカシを一心に愛してくれていたイルカの大切な記憶を、カカシは自らの手で、イルカの奥深くへと封じ込めた。 愛妻であったイルカを殺したのは自分だ。 「・・・もうみんな殺されてる」 深蒼の瞳を柔らかく細めるカカシがそう告げると、驚いたのだろう。カカシを見上げるサスケの瞳が大きく見開かれた。 サスケもイルカの教え子だ。あまり多くを語らずとも、何が大切なのか分かってくれたと思っていた。思ったからこそ、カカシはサスケを置いて任務へ向かったのだ。 だが、どうやらそれは間違っていたらしい。 任務を終わらせたカカシが里へ戻ってみると、サスケは既に里抜けした後だった。 小さな身体で懸命にサスケを連れ戻そうとしたのだろう。満身創痍の状態で発見したナルトを里の木の葉病院に運び込み、医療スペシャリストである綱手に預けたカカシは、診療の邪魔にならないよう病室をそっと出る。 「・・・はたけ上忍!」 途端、聞き覚えのある声に名を呼ばれ、声のした方向へと視線を向けたカカシは、その深蒼の瞳を僅かに見開いていた。 里の非常事態を受け、任期を切り上げて戻って来たのだろう。病室を出たカカシへと歩み寄って来たのは、イルカの代わりに蓮の国へ派遣されていたはずのヤナギだった。 「ようやく捕まった・・・!どういう事ですか、はたけ上忍!どうして・・・っ」 「・・・ヤナギ」 二人の現状を知ったらしいヤナギの続く言葉を、深蒼の瞳を切なく眇めるカカシは静かに名を呼ぶ事で止めた。 「イイんだ」 「・・・っ」 たった一言、そう告げたカカシの深蒼の瞳が切なさを増し、小さく息を呑んだヤナギの瞳が大きく見開かれる。 「・・・オマエには感謝してる。こんな事になって悪かったと思ってるよ」 そんなヤナギへと感謝と謝罪の言葉を告げるカカシは、その顔に小さく笑みを浮かべて見せた。 一時的ではあったが、ヤナギの後押しのお陰でイルカと伴侶になれたのだ。イルカの身代わりになって蓮の国へ派遣されたヤナギには感謝してもし切れない。 だが―――。 「・・・でも、コレでイイんだ」 イルカを愛している気持ちに変わりは無いが、自分では幸せに出来ないと思い知らされた。 再度そう言いながら笑みを消したカカシは、話はこれで終わりだと言うようにヤナギに背を向ける。 (・・・コレでイイんだ) ヤナギの視線を背に感じながらも、もう振り返る事無く歩みを進めるカカシは、深蒼の瞳を苦痛に歪ませながら、何度も何度も自分にそう言い聞かせていた。 |
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