きっとまた手を繋ぐ 9 木々が多い木の葉の里には、春を象徴する桜の木も多く自生している。 暖かい春になると、里のあちらこちらで淡い色合いの花弁を綻ばせる桜の木々を見る事が出来るが、春が大好きだった愛妻を失ったカカシにとって、春の訪れを告げる桜の開花は今や辛いものでしかなかった。 大蛇丸による木の葉崩しから約半年。 戦力の低下を余儀なくされていた木の葉の里も、ようやく落ち着きを見せ始めたのだろう。五代目火影に就任した綱手の手により目覚めて以降、Sランク任務にばかり就いていたカカシは、Aランク任務にも就くようになっていた。 桜色が目立ち始めた木の葉の森を横目に潜った大門の前。そこで部下たちを解散させ、報告書を提出する為に受付所へと一人向かうカカシは小さく溜息を吐く。 (・・・しっかりしろ) 最近、任務中に負傷する事が多い。 今日だってそうだ。それ程難しくは無い任務だったのにも関わらず、ちょっとした不注意から片足に軽傷を負ってしまっている。 敵味方を問わず、負傷している事を気付かれるようなカカシではないが、不注意は頂けない。自分だけでなく、仲間をも危険に晒してしまう可能性があるからだ。 受付所を有する建物の中へと入り、夕刻となり沈み始めた綺麗な夕日が差し込む廊下を歩きながら、僅かに俯くカカシは銀髪をガシガシと掻く。 自棄になっているつもりはない。 愛妻であるイルカを自ら手放してしまったと気付いた時、カカシは昔のように、イルカが居る里を守り、イルカを遠くから見守る存在に戻ろうと心に決めた。 この命がある限り、イルカを愛し守りたい。 そう想う気持ちに変わりは無いが、カカシはまだ、イルカの傍らに自分以外の誰かが寄り添う事を受け入れられた訳ではないのだろう。 自分では幸せに出来ない。諦めなければと思う気持ちと、イルカの愛を渇望する自分とが共存していて苦しい。 受付所の古びた木製の扉。その前に辿り着いたカカシの深蒼の瞳が、ふと切なく眇められる。 探らなくても分かってしまう。扉の向こうにあるその気配はイルカのものだ。 想いを断ち切るには距離を置くのが一番だ。 そう思い、カカシはこれまで可能な限りイルカを避けていたが、今回のようにAランク任務にも多く就くようになれば、そうも言っていられないのだろう。 口布の下、ふと小さく溜息を吐くカカシは、受付所の扉をガラリと開ける。 夕刻は混雑するはずだが、思っていたよりも混雑していなかった受付所内。カウンターに着き、報告書を受理するイルカの姿をすぐに見止めるも、そんなイルカから視線を逸らすカカシは、その隣に座るヤナギの元へと足を進めた。 「お願いします」 何故自分に提出するのだと言いたいのだろう。ヤナギへと報告書を差し出した途端、ヤナギから真っ直ぐに見上げられ、それを見下ろすカカシは僅かに苦笑する。 「・・・預かります」 その苦笑で推し量ってくれたのだろうか。小さく溜息を吐きながらも、何も言わずに報告書を受け取ってくれた事にホッとするカカシは、ヤナギが受理し終わるまで、その隣に座るイルカへと視線を向けようとはしなかった。 「結構です」 不備は無かったのだろう。ヤナギのその言葉を受け、小さな笑みと共に「ありがと」と告げたカカシは踵を返す。だが―――。 「待って下さい」 誰かが立ち上がったのだろう。背後でガタリと椅子を鳴らす音がした途端、そう声を掛けられたカカシは、その身体を小さく震わせていた。 ゆっくりと振り返ったカカシの視線の先。 「怪我をされていませんか」 以前と全く変わる事無く、真っ直ぐに見つめて来るイルカからそう問われたカカシの深蒼の瞳が僅かに見開かれる。 イルカに怪我を気付かれた上に、呼び止められるなんて思っていなかった。 あれだけキツイ言い方をしておきながら、カカシは部下であるサスケを止める事が出来なかったのだ。イルカの怒りは想像に難くなく、カカシの怪我に気付いたとしても、呼び止められる事は無いだろうと思っていた。 「・・・手当てを」 そう続けるイルカから視線を逸らし、僅かに俯くカカシの口布の下、ふと小さく苦笑が浮かぶ。 (・・・見過ごせなかったんだろうな・・・) 怪我に気付いて貰えたのは嬉しいが、イルカの事だ。ただ単に、怪我をしているカカシを見過ごす事が出来なかったのだろう。 「・・・軽傷ですから」 「イルカ」 小さく笑みを浮かべて辞退しようとしたのだが、必要無いと続けようとしたカカシの言葉を、イルカの隣に座るヤナギの静かな声が遮る。 「ここはいいから、医務室に案内して来い」 イルカと二人でちゃんと話せと言いたいのだろうが、イルカを諦めようとしているカカシにとってそれは余計なお節介でしかない。 ヤナギを見下ろすカカシの眉間に僅かに皺が寄るも、イルカがカウンターを回って歩み寄って来た事で掻き消えた。 「どうぞ。こちらです」 イルカに対する愛情が消えたわけではないのだ。 久しぶりにイルカと一緒に居られる。多少なりとも話せるという誘惑に勝てなかったカカシは、ふと小さく諦めの溜息を吐き、先に立って案内するイルカの後を追った。 受付所を出てすぐ。 夕日が沈んだのか薄暗くなり始めていた廊下を挟み、向かいに設置されていた医務室は、さながらアカデミーにある保健室のようだった。 ここで仮眠も取れるようになっているのだろう。簡易のベッドまでが置いてあり、物珍しく室内を眺めるカカシに「座って下さい」と丸椅子を勧めたイルカが、奥にある棚から救急箱を取り出す。 「・・・足・・・ですよね?」 言われた通り丸椅子に腰掛けたカカシの足元。そこに救急箱を置きながら片膝を付くイルカからそう問われ、小さく苦笑しながら身体を折るカカシは、左足のサンダルと、脚に巻かれた脚絆を紐解いていく。 「・・・っ」 打撲程度の軽い負傷だが、少々捻ってしまってもいる。 大きく腫れ上がっていたカカシの足首。それを見たイルカが小さく息を呑み、急いで手当てを始める姿を見下ろすカカシは、その深蒼の瞳を切なく眇めていた。 「ちゃんと病院に行って下さいね」 心配してくれているのだろうか。足首を固定する為、きつく包帯を巻くイルカからそう告げられ、カカシはふと小さく苦笑する。 「・・・大丈夫ですよ。見た目は酷いですが、折れてはいませんから」 「でも、ちゃんと病院に・・・っ」 イルカに心配を掛けたくは無い。そう思うカカシがそう告げた途端、勢い良く顔を上げたイルカと視線が絡み、カカシの深蒼の瞳が僅かに見開かれる。 「・・・すみません」 「え・・・?」 しばらくの間絡み合っていた二人の視線。それを先に逸らしたのはイルカだった。 「・・・中忍選抜試験の時、酷い事を言ってすみませんでした・・・」 ずっと気に病んでくれていたのだろう。切なく眇めた漆黒の瞳を手元に落とすイルカから、掠れた小さな声で謝罪の言葉を告げられ、それを聞いたカカシの深蒼の瞳も切なく眇められていく。 「・・・ううん。オレの方こそ、キツイ言い方してゴメンね・・・?」 謝罪しなければならないのはカカシも同じだ。 小さく首を傾げるカカシがそう謝罪すると、恐る恐るといった様子で顔を上げたイルカは、カカシの後悔渦巻く深蒼の瞳を見止めた途端ふるふると首を振り、面映そうな笑みを小さく浮かべて見せてくれた。 「・・・応急手当だけですから、ちゃんと病院に行って下さいね」 手当てが終わった後。救急箱を片手に立ち上がったイルカから念を押すようにそう告げられ、「ん」と頷くカカシの口元に小さく苦笑が浮かぶ。 それを見てホッとしたような笑みを小さく浮かべて見せてくれたイルカが、救急箱を片付けようとしたのだろう。カカシに背を向けた時だった。 「・・・っ」 小さく息を呑んだイルカが驚いた表情を浮かべてカカシを振り返り、それを見てカカシはようやく、自分の手甲に覆われた手がイルカの温かい手を掴んでしまっている事に気付く。 「カカ・・・」 「・・・何でもない。ありがと」 完全に無意識だった。 掴んでいたイルカの手を慌てて離し、座っていた丸椅子から立ち上がる。 そうして、上手く笑えたかどうか定かではないが、小さく笑みを浮かべて礼を告げたカカシは、まるで逃げるかのように医務室を後にした。 |
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