きっとまた手を繋ぐ 10






近くに居れば手を伸ばしてしまう。
遠くから見守るだけで充分だったが、ヤナギの差し金だろう。それ以来、アスマや紅も交えて時々、イルカと呑むようになった。
一定の距離を保たなければ苦しいのは自分だ。
必要以上に近付いてはいけないと嫌と言う程に分かってはいたが、長年イルカを想って来たカカシが、イルカの側に居たいと強く思う自分をそう簡単に抑えられるはずもない。
呑みの席にイルカが居ると知ると、カカシが呑みの誘いを断る事は殆どと言って良いほど無かった。
Aランク任務が増えたと言っても、カカシが請け負うのはまだまだSランク任務が中心で、受付所等でイルカの姿を見る機会は稀だったからだ。
機械のように任務をこなす合間、イルカと共に過ごす僅かな時間は、カカシにとって泣きたくなる程に幸せな時間だ。
イルカとの思い出がたくさん詰まった萩屋の一角。
座敷の隅に腰を下ろし、なみなみと酒が注がれた杯を手にするカカシは、水面に映る光景から視線を逸らしながら、その口布の下、周囲に気付かれないようふと小さく溜息を吐く。
近付いては駄目だと自制すればするほど、イルカへの想いがより強くなるのは何故だろうか。
アカデミーや受付所勤務に加え、三代目の頃と同じく、五代目火影に就任した綱手の手伝いもしていると聞いているから大変なのだろう。
少し痩せたように見えるイルカが気掛かりで、水面越しにずっと見つめていた諦めの悪い自分が嫌になる。
「・・・随分と辛気臭い溜息ね」
気付かれないように吐いたはずの溜息だったが、やはり上忍と言うべきか。
酒でも取りに行ったのだろう。少し離れた場所に座っていたイルカが席を外した所で、間にアスマを挟んで斜め向かいに座る紅からそう指摘され、カカシの口元にふと小さく苦笑が浮かぶ。
カカシとイルカ、二人の現状を良いとは思っていないらしい紅の言いたい事は良く分かるが、現状に納得しているカカシがそれに応えるはずも無い。
「・・・どうして」
紅に視線すら向ける事無く酒を飲み干そうとしたカカシは、だが、席を外したイルカの隣に座るヤナギの声がした途端、杯を持つ手を僅かに揺らしていた。
「どうして伴侶だった事を言わないんですか。今でもあいつが好きなんでしょう?」
ゆっくりと上げたカカシの視線の先。真っ直ぐに見つめて来るヤナギから、静かにそう問われたカカシの口元に再び小さく苦笑が浮かぶ。
類は友を呼ぶと言うが、上忍であるカカシに対しても臆する事無く発言する所は、イルカと良く似ている。
「・・・オレにはもう、イルカ先生の側に居る資格は無いんだよ」
誰よりもイルカを愛していると自信を持って言えるが、繋がりを断ち切るばかりの自分がイルカの側に居る資格は無い。
ヤナギのお陰で、数年間ではあったがイルカと共に穏やかな時を過ごせた。楽しかったあの頃の思い出は、今もカカシの中で光り輝いている。
それだけでもう充分だ。
見つめて来るヤナギから逸らした視線を手の中にある杯に落としながら、深蒼の瞳を切なく眇めるカカシがそう告げると、それまで黙り込んでいたアスマがカカシの隣でふぅと大きく紫煙を吐き出した。
「・・・馬鹿だな」
「ほんと。大馬鹿よね」
アスマと紅の二人から呆れたような口調でそう言われたカカシの口元に、ふと小さく自嘲の笑みが浮かぶ。
「・・・知ってる」
自分が馬鹿だという事は、数え切れない程に後悔を重ねて来たカカシが一番良く知っている。
小さくそう返すと、カカシの胸中を推し量ってくれたのだろう。それを聞いた皆は、もう何も言わずにいてくれた。





五月も後半を迎え、そろそろ梅雨入りするのだろう。
空を覆い尽くす雲は厚く、新緑萌える木々を撫でて行く風には、濃厚な雨の匂いが混ざっていた。
アカデミーの校舎裏手にある中庭の一角。そこに設置されたベンチに腰掛けるカカシの姿を、花を終えた桜の木々が校舎から覆い隠してくれている。
忙しい任務の合間を縫ってアカデミーまでやって来たカカシであるが、その目的はイルカではない。
近付いて来る気配に気付いたカカシの視線の先にあったのは、授業を終えたばかりなのだろう。片手に出席簿を持つヤナギの姿だった。
「・・・悪かったね。急に呼び出したりして」
小さく苦笑するカカシの傍ら。「いえ」と口にしながらも、何故イルカではなく自分を呼び出すのだと顔に出して立つヤナギを見上げるカカシの苦笑が深くなる。
「そんな顔するなよ。ちょっとオマエに頼みたいコトがあって」
そう言いながら腰のポーチを探ったカカシが取り出したのは、手の平に乗るほどに小さな紙包みだった。
「もうすぐイルカ先生の誕生日でしょ?コレ、イルカ先生に渡しておいてくれる?」
以前からイルカにプレゼントしようと考えていた藍色の髪紐だ。
それが入った紙包みをヤナギに差し出すも、「自分で渡せばいいじゃないですか」と受け取って貰えず、カカシは困ったように小さく笑う。
自分で渡せるものなら渡している。
イルカの誕生日まであと数日と迫った今日、五代目火影である綱手から少々手の掛かる任務に任命されたカカシは、この後すぐにでも任地へと向かわなければならなくなってしまったのだ。
任務が長期に渡る事は想像に難くなく、イルカの誕生日にはどうしても帰って来られない。
「・・・オレから渡すのは不自然でしょ?オマエからってコトにしといてよ。ね?」
火影から直接任命されたという事は、当然の如くSランク任務だ。
その内容全てが極秘だという事もあったが、イルカの愛情を諦め切れないカカシは今や、イルカへ向かおうとする想いを抑える事すら難しくなって来ている。
しばらく会わない方が、自分やイルカの為にも良い。
「・・・頼む」
死ぬつもりは更々無いが、隊長として最前線で戦う事になるカカシは、いつ何が起こるか分からない。
傍らに立つヤナギを真っ直ぐに見上げるカカシが、浮かべていた笑みを消して再度頼み込むと、そんなカカシを見て何かを察したのだろう。
「・・・これは預かりますが、あいつに渡すかどうかは分かりませんよ」
小さく溜息を吐いたヤナギは、そんな事を言いながら紙包みを受け取ってくれた。
ちゃんとイルカに渡したかどうか知りたければ、生きて戻って来いという事なのだろう。ヤナギを見上げるカカシの口元に、ふと小さく苦笑が浮かぶ。
「ありがと」
感謝の言葉を一つ口にして座っていたベンチから立ち上がったカカシはそうして、イルカに会う事無く少し期間の長い任務へと向かった。