繋いだこの手を離さない 3






イルカの視線が追い付いて行かない。
一瞬で敵の懐に入り込んだ彼の忍刀が、敵の悲鳴と銀の軌跡を残して次の敵の元へと移動していく。
(凄い・・・)
さすがは暗部と言うべきだろうか。忍刀片手に跳躍し、夜闇に銀髪を輝かせる彼は一陣の風のように速かった。それに恐ろしく強い。
イルカが手にしたクナイが出る幕など全く無かった。
周囲を囲んでいた敵たちは彼の前で為す術も無く次々に倒されていき、隊長格と思われたあの男でさえ、彼に返り血一つ浴びせ掛ける事も出来ずに倒された。
彼がたった一人で全ての敵を殲滅するのにそれ程時間は掛からなかった。手にした忍刀を一振りし、刀に付いた血糊を飛ばした彼がイルカの元へと戻ってくる。
「・・・大丈夫?」
見事な戦い振りに見惚れてしまっていた。手にしていた忍刀を背の鞘に収める彼から気遣わしそうにそう声を掛けられ、イルカはハッと我に返る。
「あ、はいっ、大丈夫です。・・・すみません、見惚れてました・・・」
ほぅと感嘆の溜息を一つ吐き、傍らに立つ彼を見上げながら正直にそう答えると、どうやら笑われてしまったらしい。イルカに暗部面を向ける彼の肩が小さく揺れる。
「腕は大丈夫?ケガしてるんでしょ?」
「あ・・・」
彼のその言葉で、イルカは腕の怪我の事を思い出す。
「ちょっと見せて」
「あ、はい」
イルカの側に片膝を付いた彼の手がイルカへと伸ばされ、そう言われたイルカは、自らの右腕を素直に彼の前に差し出した。
鉤爪で傷付けないようにだろう。手甲に覆われた彼の手が、そっと優しくイルカの手を握ってくれる。
「あぁ、血は止まってるみたいだね。応急手当だけしておくから、砦に戻ったらちゃんと手当てして貰って」
彼が戦ってくれている間、手で傷口を押さえていたから出血は止まったようだった。
腰のポーチから傷薬らしい小さな入れ物と包帯を取り出す彼からそう言われ、イルカは少し驚く。
助けてくれただけでなく、手当てまでして貰えるとは思わなかった。
イルカの心の中にずっと棲み、神様と慕っているサクモに良く似た彼。その彼の優しさが自分へと向けられている嬉しさから、イルカの顔に小さな笑みが浮かぶ。
「・・・はい。ありがとうございます」
片手だけ手甲を外し始めた彼にそう告げると、笑ってくれたのだろう。彼の纏う雰囲気が柔らかくなった気がした。




ここ最近、頻発していた侵入は、隣国による偵察だったらしい。
手甲の下から現れた色白な手で怪我の手当てをしてくれた彼が、イルカの利き腕に包帯を巻きながらそう教えてくれた。
「警備の手薄なココが狙われててね。そろそろ攻め入ってくるって情報が入ったから、オレたち暗部が来たんだけど・・・」
巻き終えた包帯を結ぶ彼が、そう言いながら小さく溜息を吐く。
「・・・間に合って良かった」
「え・・・?」
溜息と共に呟かれたその言葉はどういう意味だろうか。
小さく首を傾げて暗部面を見つめてみるが、彼はイルカの疑問に応えてくれる気はないようだった。「ハイ、終わり」と言われ、イルカは慌てて「ありがとうございます」と返す。
「・・・ココは前線になる。あなたたちは一旦里に戻されるだろうから」
彼のその言葉で、彼が前線に立つ事を知ったイルカの表情が僅かに曇る。
あれだけ強いのだ。イルカが心配などしなくても大丈夫だろうとは思うのだが、イルカが神様と慕うサクモに彼が良く似ているからだろう。強いと分かっていても、前線に立つという彼の身が心配だった。
「他にも入り込んでるヤツが居るかもしれない。砦まで連れて行ってあげられないけど、一人で大丈夫?」
心配していたのはどうやらイルカだけでは無かったらしい。銀髪を揺らし、小さく首を傾げる彼からそう訊ねられたイルカは慌てた。
これから忙しくなるだろう彼に、これ以上の負担は掛けられない。
「俺は大丈夫です。一人で戻れます」
安心して貰えるよう笑みを浮かべてそう告げると、彼の手がイルカの耳元へと差し伸ばされた。
「・・・気を付けて戻って」
そこに付いていたらしい葉を取ってくれた彼から告げられたその言葉は、イルカの耳に殊更優しく響き、一つ頷いてみせるイルカの頬が僅かに染まる。
外していた手甲を身に着け始めた彼の銀髪を見つめながら、彼は本当に神様に良く似ているとイルカは思う。
イルカが神様と話をした事は一度も無い。会ったのも、幼い頃に助けて貰ったあの時だけだ。
けれど、銀髪や彼の纏う雰囲気が似ているからだろうか。彼と会話していると、神様と話しているような気がしてくるのだ。
(名前・・・は、聞いちゃいけないんだよな・・・)
暗部に名前を訊ねるのは禁忌とされている。
彼に名前を訊ねられないのが残念だった。サクモではないかと訊ねたいのを堪え、イルカは手甲を身に着け終えた彼と共に立ち上がる。
「ホントに気を付けてね」
どうやら彼は、イルカの事をかなり心配してくれているらしい。立ち去ろうとする彼から再度そう告げられ、イルカの顔に小さく面映い笑みが浮かんだ。
「はい」
イルカの返事を合図に大きく跳躍した彼の銀の髪が暗闇に踊る。それを見送っていたイルカの胸に一抹の淋しさが込み上げ、浮かんでいた笑みが消えていく。
彼は暗部だ。中忍であるイルカが会える機会などそうそう無い。
もう彼には会えないのかもしれない。
神様に良く似た彼に会う事はもう―――。
「あの・・・っ、お気を付けて!御武運を・・・!」
そう思った途端、イルカは彼の背中に向かってそう叫んでしまっていた。
声が届いたのだろう。もう随分と遠くまで行ってしまっていた彼が振り返る。
それを見て、イルカは今更ながらに焦った。
生きていて欲しい。生きていてくれたら、いつかまた会えるかもしれない。
そんな想いから出た言葉だったが、あんなに強い彼にその身を心配するような言葉を掛けるなんて、生意気だと受け取られてもおかしくない。
だが、彼はそう思わなかったらしい。彼の手甲に覆われた片手が、ありがとうと礼を言うように掲げられる。
「・・・っ」
それを見たイルカの胸に嬉しさが込み上げ、イルカは思わず、ぶんぶんと手を振り返してしまっていた。
銀髪を靡かせる彼がイルカに背を向ける。
(・・・サクモ様、どうか・・・)
いつかまた会えるその時まで、彼が無事であるように、彼を守って欲しい。
彼の姿が見えなくなるまで手を振り続けながら、イルカは、イルカを助けてくれた神様サクモへとそう心の中で祈っていた。