繋いだこの手を離さない 6






どうやらカカシは、イルカ行きつけの萩屋をかなり気に入ってくれたらしい。
それから数日後。受付所のカウンターに着いていたイルカは、報告書を提出しにやってきたカカシから、良い店を教えてくれたお礼にと呑みに誘われた。
―――里内の事も色々と聞きたいですし、呑みに行きませんか?
時刻は夕刻。最も混雑していた受付所内での出来事だ。
イルカも驚いたが、二人に接点があるなんて知らない周囲はもっと驚いた事だろう。
それまでざわついていた受付所内が、カカシのその発言でしんと静まり返ってしまい、イルカは内心で悲鳴を上げてしまっていた。
(あれには吃驚させられたよなぁ・・・)
何しろカカシは有名人なのだ。
イルカは知らなかったのだが、『写輪眼のカカシ』と二つ名がある程の実力を持つカカシの噂は、元暗部という触れ込みがあった事もあり、今や里中を駆け巡っている。
そのカカシが中忍の、しかも、接点も何も無さそうな内勤のイルカを呑みに誘ったのだ。驚くなと言う方が無理がある。
皆が注目している中で了承の言葉を告げるのは少々勇気の要る事ではあったが、カカシに誘われたという喜びに勝るものはなかった。
何とか了承の言葉を伝えたものの、まだ少し仕事が残っていたイルカへ、それならと、待ち合わせの時間と場所を決めてくれたカカシが立ち去った後。
驚きと嬉しさにしばらくの間惚けていたイルカを襲ったのは、その場に居合わせた者たちからの質問責めの嵐だった。
吃驚させられたと言えば、もう一つ。カカシの素顔にもイルカは吃驚させられた。
忍里ならではだが、カカシのように素顔を隠している者は多い。その理由だって様々だ。
今も暗部として任務に就いているらしいカカシだから、顔を見せられないのは当然だとイルカは思っていたのだが、どうやらそれは間違っていたらしい。
萩屋を気に入ってくれたのならと、呑みの場所に萩屋の個室を選び、カカシと二人きりの状況に少し緊張しながら腰を落ち着けたのだが、そのイルカの前でカカシはあっさりと素顔を晒してしまったのだ。
それを見て固まってしまったイルカへ小さく首を傾げてみせるカカシから、どうかしたのかと暢気に訊ねられ、自分に顔を見られても良いのかとか色々と言いたい事はあったのだが。
―――・・・もの凄い男前で吃驚しました・・・。
ほぅと感嘆の溜息を一つ吐いたイルカの口から零れ落ちたのは、そんな言葉のみだった。
閉じた左目に大きく縦に走る傷があるが、カカシの端正な顔立ちに銀の髪が落ち掛かる様は、精悍であるのに本当に綺麗で、そのカカシが笑みを浮かべるたび、イルカは何度見惚れてしまったか分からない。
あれだけ強い上に、これだけ男前だ。カカシが女性にかなりモテているという噂も頷ける。
そのカカシが、里内の事を色々教えて欲しいとイルカを頼ってくれ、さらには、二人きりで一緒に呑めているこの時間が嬉しい。
どうしても浮かんでしまう小さな笑みを隠すように、イルカは手に持った杯を口元へと運ぶ。
その視線の先にあるのは、俯くカカシの目元にさらさらと落ち掛かる銀髪だ。
(・・・やっぱり似てる・・・)
幼い頃の記憶はだいぶ曖昧になってしまっているが、イルカを助けてくれた神様の光り輝く綺麗な銀髪だけは、今でもはっきりと思い出す事が出来る。
カカシの銀髪をぼんやりと見つめたまま神様の事を思い出していると、そんなイルカに気付いたのだろう。手にした杯を傾けていたカカシの首が小さく傾いだ。
「・・・オレの髪に何か付いてます?」
「い、いえ・・・っ」
不思議そうにそう訊ねられ、イルカは慌てる。
何でもないと誤魔化そうかとも思ったのだが、いつもイルカが何でも正直に話している神様にカカシが似ているからだろう。誤魔化す事が躊躇われてしまい、そんな自分に小さく苦笑を浮かべるイルカの口から出て来たのは、「同じなんです」という言葉だった。
「同じ・・・?」
「・・・はい。俺、小さい頃に崖から落ちそうになった事があるんですが・・・」
この事を誰かに話すのは久しぶりだ。僅かに伏せたイルカの瞳が、懐かしい思い出に眇められていく。
「・・・その時に俺を助けてくれた方と、はたけ上忍の髪色が同じなんです」
神様と慕うその人がカカシと同じく銀髪の持ち主である事。再び会いたいとずっと願っていて、いつかまた会えたなら感謝の気持ちを伝えたいと思っている事。
それから、数年前に任務先でカカシと出会った時から、カカシがその人ではないかと思っていた事を話すと、カカシの顔にふと小さく苦笑が浮かんだ。
「・・・残念ながら、オレじゃありませんよ」
神様とカカシは別人。
カカシの口からはっきりとそう告げられ、少々気落ちしてしまったが、そもそも名前が違うのだ。
幼い頃にイルカを助けてくれた神様はカカシではない事は確かだというのに、カカシがあまりにも神様に似ているからだろう。もしかしたらと期待してしまっていた。
イルカの顔に小さく苦笑が浮かぶ。
「そうですよね。・・・すみません。木の葉で銀髪の方は珍しいので、つい・・・」
年上ではあるだろうが、年齢も近そうなカカシがイルカを助けられるはずもない。幼いイルカを助けてくれた神様は別に存在するのだろう。
勘違いしてしまった事を謝罪すると、小さく笑みを浮かべるカカシは「ううん」と首を振ってくれた。
「・・・あなたにそんなに慕って貰えて、神様が少し羨ましいです」
続けられたカカシのその言葉に、イルカの胸がトクンと高鳴り、漆黒の瞳が僅かに見開かれる。
「・・・え・・・?」
それはどういう意味だろうか。
小さく首を傾げてカカシを見つめてみるが、カカシが告げたその言葉にあまり深い意味は無かったのだろう。卓上に置かれていた銚子を手に取ったカカシから、笑みと共に「どうぞ」と酒を勧められ、イルカは慌てて自らの杯を手に取る。
「すみません、ありがとうございます」
イルカが差し出した小さな杯へ、なみなみと注がれる酒。
それに視線を落とすイルカは、先ほど告げられたカカシの言葉を、都合良く受け取ろうとする自分が居る事に少し戸惑っていた。





どうやらカカシは、萩屋だけでなくイルカの事も気に入ってくれたらしい。
一緒に呑んでからというもの、イルカが受付所のカウンターに着いていると、必ずイルカへと報告書を提出してくれるようになり、さらには、受付所以外でも会えば気さくに声を掛けてくれるようになった。
同じ銀髪を持つとはいえ、カカシは神様ではない。
カカシ本人の口から直接否定の言葉を聞いたのだ。それは充分過ぎるほどに分かっていたが、ずっと慕ってきた神様に良く似たカカシに構って貰って嬉しくないと言ったら嘘になる。
イルカが神様を慕うようにカカシの事を慕い始めるのに、それ程時間は掛からなかった。
カカシに会えるのを楽しみにしてしまうようになり、カカシに会えれば、会えた嬉しさからイルカの顔からは自然と笑みが零れ落ちた。
受付所のカウンターでイルカの隣の席に座る同僚のヤナギからは、「はたけ上忍の時だけ笑顔が二割増しになってるぞ」と呆れられた程だ。
そんな事は無いと苦笑と共にそう告げるイルカは、この時まだ、カカシへの想いは神様に対する気持ちと同じだと思っていた。
尊敬だとか憧憬だとか。
色んな感情が入り混じっていたイルカのカカシへのその想いが、神様を慕う気持ちとは違う事にイルカが気付いたのは、カカシと再会した頃には咲き初めだった桜が儚く散り始めた頃だった。