繋いだこの手を離さない 13 気だるい身体を胎児のように小さく丸める。 新しく替えられたシーツはさらさらと肌に柔らかく、イルカの身体を拭う人肌よりも少し高めに温められたタオルが心地良い。 汚れていたイルカの身体を、ベッドに腰掛けるカカシの手が丁寧に清めていく。 「眠っていいよ」 うつらうつらとしながらも、眠りに抗っているイルカに気付いたのだろう。カカシから小さくそう声を掛けられたが、今にも閉じそうになっている瞳を懸命に開くイルカは緩やかに首を振った。 疲れた身体は眠りを欲しているが、眠りたくない。 窓の外で白み始めた空が忌々しい。朝を迎え、蓮の国行きをもう明日に控えるイルカには時間があまり残されていないのだ。少しでも長くカカシとの時を過ごしたい。 そんなイルカの想いに気付いているのだろう。タオルで拭われていたイルカの手にそっと口付けが落とされ、カカシの「大丈夫」という優しい声がイルカの耳を擽る。 「・・・ずっと一緒ですから」 その言葉と、イルカを見下ろすカカシの愛しい愛しいと語る深蒼の瞳に堪らなくなる。 カカシのひんやりとした指の背で頬を擽られるイルカの漆黒の瞳が切なく眇められ、じわりじわりと涙が滲んでいく。 (・・・充分だ・・・) 嘘だと分かっていても、ずっと一緒だと言ってもらえて嬉しい。 一晩で一生分愛してもらったのだ。これ以上を望んだら罰が当たる。 取られている手をカカシの節ばった指先へ絡め、イルカはその手をぎゅっと握り締める。 時間が残されていない事は嫌と言う程に思い知っているが、さすがに少し疲れてしまった。 起きるまで手を繋いでいて欲しい。 そんな事を思いながら、その口元に切ない笑みを小さく浮かべるイルカの瞳がゆっくりと閉じられて行き、イルカの目尻に溜まっていた涙は、零れ落ちるその前にカカシの指先がそっと優しく拭ってくれた。 * ふわりふわりと自分の身体が宙に浮いているような感覚。 心地良いその感覚に包まれ、気だるい身体を抱えるイルカは深い深い眠りに堕ちていた。 空が白み始めるまでカカシに愛されていたイルカの身体は睡眠を欲しており、もう少しだけ眠っていたいとそう思っていたのに、胎児のように小さく丸めるイルカの身体を包んでいた浮遊感が不意に途絶える。 「・・・この人をお願い」 カカシの静かなその声が聞こえると同時に、イルカの側から暖かい温もりがそっと離れ、最後にイルカの頬をひと撫でしたその手はカカシのものだったのだろう。ひんやりと冷たかった。 「ゃ・・・」 嫌だ。行かないで欲しい。 そのままカカシが離れて行ってしまう気配に気付き、眉根を寄せるイルカの意識が急速に浮上していく。 イルカがまず最初に感じたのは、身体中に走る鈍い痛みと酷い倦怠感。それから、ざわざわとざわつく気配だった。 「・・・どういう事か説明してもらおう、カカシ」 なかなか開こうとしなかったイルカの瞳が、耳に聞こえて来たその声で大きく見開かれる。 (火影様・・・っ) どうして火影が居るのか。 イルカのその疑問は、視界に飛び込んできた見慣れた風景ですぐに理解させられた。見開くイルカの瞳が動揺に揺れる。 ざわついているはずだ。 そこはカカシの部屋ではなく、最も混雑する朝の受付所。 奥にある大きな窓から差し込む朝日は眩しく、その朝日を背に受ける位置にあるカウンターには、動揺しているらしい同僚たちと共に、いつになく厳しい表情を浮かべる火影の姿があった。 そして。 皆が遠巻きにする中、カウンターの前に一人立つのは、手甲に覆われたその手を後ろ手に組むカカシの後姿。 「・・・っ」 それを見止めた途端、寝かせられていたソファから慌てて起きあがろうとしたイルカは、だが、全身を激しい痛みに襲われ、その身体を元のソファへと崩れさせていた。 身体が動かない。視界がぐらぐらと揺れる。 「発熱してるんだ。動くな、イルカ」 すぐ側から小さく声を掛けられ、イルカは俯かせていた顔をゆっくりと上げた。眠っている間に忍服と共に着けられたらしい額当てに手を当て、揺れる視界を懸命に定める。 聞き覚えのあるその声は、同僚で友人でもあるヤナギだ。 「ヤ・・・ナギ・・・」 ソファの側に膝を付くヤナギの心配そうに見つめてくる瞳を見止め、その名を小さく呼ぶイルカの声は、だが、喘ぎ過ぎたからだろう。掠れており殆ど音として出ていなかった。 「・・・ご覧の通りです。昨夜、彼―――うみのイルカを陵辱しました」 「・・・ッ!」 聞こえて来たカカシの静かな、けれど、衝撃的なその言葉にイルカは大きく息を呑む。 受付所内がいっそうざわめく中、イルカは慌ててカカシへと視線を戻したが、イルカに背を向けているカカシの表情を窺い知る事は出来なかった。 (な、にを・・・) イルカは陵辱なんてされていない。 激しくはあったが、カカシはどこまでも優しく、深い愛情でイルカを愛してくれた。 「・・・責任は取ります。どんな処分も受ける覚悟は出来ています」 続けられたカカシのその言葉でイルカは焦る。里の同胞を作為的に傷付けた者への処分は殊更重くなるからだ。 「ちが・・・っ」 違う。あれは同意だった。自分は陵辱なんてされていない。 そう大声で言い募りたいのに声が出ない。 (くそ・・・ッ) 火影までは到底声が届かないと知ったイルカは、すぐ側に居るヤナギの忍服を急いで掴み締める。 「違う・・・んだ、カカシさ・・・は何も・・・っ」 カカシは何も悪い事はしていない。 熱が上がって来たのか霞み始めた瞳を眇め、掠れた声で懸命にそう言い募るイルカの肩をヤナギの手が押し留める。 「分かってる。分かってるから動くな。熱が上がる」 イルカの身を心配してくれているのだろう。小さくはあったが、語気を強めるヤナギの言葉を受け、イルカの動きが止まる。 だが、このままでは何の罪も犯していないカカシが処分を受けてしまう。 漆黒の瞳を切なく眇めながら何度も首を振るイルカの耳に、カウンターに着いていた同僚の「火影様」という小さな声が聞こえてくる。 それに続いて聞こえて来た火影の言葉で、イルカは不可解なカカシの言動の意味を知る。 「・・・陵辱されたらしいイルカを遣るわけにはいかん。それに、イルカのあの状態では蓮の国へ向かわせるのは無理じゃろう。あちらへは代わりの者を」 「承知」 行きたくない。結婚なんてしたくない―――。 昨夜、泣きながらそう訴えたイルカの言葉を、カカシはその身を挺して叶えようとしてくれている。 (止めなきゃ・・・っ) カカシを止めなければ。 行きたくないとは言ったが、それを叶える為にカカシが犠牲になるのは間違っている。 霞む瞳を懸命に眇め、カカシの後姿へ視線を向けるイルカは軋む身体を叱咤する。だが。 「・・・カカシ。お主には処分が決まるまで自宅謹慎を言い渡す」 カカシに深く愛された身体はイルカの言う事を全く聞いてくれず、火影のその言葉を聞いたのを最後に、イルカの意識は暗い暗い淵へと堕ちて行った。 |
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