繋いだこの手を離さない 15 応えてくれないカカシの代わりに、火影とご意見番の二人が事の起こりをイルカへ説明してくれる。 イルカを伴侶に迎えたい―――。 厳重注意処分が下った直後、カカシは突如そう言い出したのだという。 「・・・皆の前で陵辱したと宣言したイルカの身を案じておるのじゃろうが、お前が責任を取る必要は無い。心配せずともイルカには私らが良い伴侶を見つけてやる。お前も良い伴侶を見つけ、子を生さねば」 「・・・っ」 コハルのその言葉が耳に痛い。 頑なに前を見据えるカカシの横顔から視線を逸らすイルカの瞳が動揺に揺れる。 (・・・そうだ・・・) カカシ程に優秀な忍なら、次世代をと里に期待されて当たり前だ。カカシもいつか結婚し、子を生し、次世代の優秀な忍を育成するのだろう。 あの晩、イルカのものになったはずのカカシは、いつか必ず他の誰かのものとなる。 分かっている。 頭では嫌と言う程に分かっているが、カカシに深く深く愛されたからだろう。感情がそれを激しく拒絶する。 だが、それを嫌だと言える立場にイルカは居ない。 二十年近く神様と呼び慕って来た憧憬の念を恋情へと替えたイルカは、誰よりもカカシの事を尊敬し、好きだと自信を持って言えるが、イルカはカカシの子を生せない身体だからだ。 徐々に俯いていくイルカの漆黒の瞳に、じわりじわりと涙が滲んでいく。 里の為、カカシの為を思えば、自分は身を引かなければ―――。 「・・・オレは結婚しないし、子も生しません」 「・・・ッ」 それまで一言も発しなかったカカシのその言葉に、イルカはビクンと身体を震わせる。 「イルカ先生がオレを選んでくれる限り、それはイルカ先生も同じです。イルカ先生の結婚はオレが必ず阻止します」 「・・・っ、お前は何を・・・っ」 動揺しているのだろう。声を荒げるご意見番の二人が口を挟もうとするも、カカシの静かな、けれど、力強い声は止まる事を知らなかった。 「この人を守る為に、オレはここまで強くなったんです。イルカ先生を守る為なら何だってする。イルカ先生が大好きなこの里も守り切ってみせます。だから伴侶は」 俯かせていた顔を恐る恐る上げたイルカの視線の先。それまで真っ直ぐに前を見据えていたカカシが、傍らに立つイルカへゆっくりと視線を向ける。 「・・・伴侶はこの人がいい」 「・・・っ」 イルカが見ている中、イルカを見つめるカカシの深蒼の瞳が切なく眇められ、そうして告げられたカカシのその言葉は、イルカの身体を歓喜で震わせた。 「イルカ先生が心変わりするまででいいんです。この人をオレに下さい」 そう言って火影たちへ深々と頭を下げて見せるカカシの姿が、イルカの瞳にじわりじわりと浮かぶ涙で滲んでいく。 (・・・カカシさま・・・っ) カカシに抱かれたあの夜。 一晩で一生分愛してもらい、イルカはそれでもう充分だと思った。 けれどカカシは、まだまだ足りないと言わんばかりに、溢れんばかりの愛情をイルカに降り注ぐ。 まるで、ようやく見つけた大切な宝物を愛でるかのように。 「・・・イルカ。お主はどうなのだ」 それまで静かにカカシの言葉を聞いていた火影からそう問われたイルカは、その奥歯をぐっと噛み締めた。今にも零れそうになっている涙を懸命に堪える。 カカシの想いに応えたい。 そう思うイルカの答えなんて最初から決まっている。 「私も、はたけ上忍と同じ気持ちです・・・っ」 震えてしまってはいたが、真っ直ぐに火影を見据えるイルカは力強くそう答える。すると。 「・・・っ」 その答えは予想していなかったのだろうか。イルカの傍らで頭を下げ続けているカカシが小さく息を呑んだ。ご意見番であるホムラとコハルも驚いたのだろう。絶句する。 「・・・分かった。お主らの言い分を認めよう」 唯一表情を変えなかった火影からしばらくして告げられたその言葉は、反対されるのだろうというイルカの予想に反し、二人の意思を尊重するというものだった。火影を見据えていたイルカの瞳が驚きに見開かれる。 「・・・っ、それでは子を生せないではないか・・・っ」 途端、ハッと我に返ったらしいコハルが反論するが、火影の意思が変わる事は無かった。執務椅子に深く凭れる火影の口元に小さく苦笑が浮かぶ。 「二人はまだ若い。イルカが心変わりするまでで良いと言っておるのじゃ。それからでも充分子は生せるじゃろう」 火影に認めて貰えるとは思っていなかった。それを聞いたイルカの表情がじわりじわりと明るくなり、下げられていたカカシの頭も上がる。 火影だけでなく、幼い頃には随分と可愛がってもらったご意見番の二人にも認めて貰いたい。 そう願うイルカが期待を込めてホムラとコハルを見つめると、そんなイルカの視線に気付いたらしい二人がぐっと詰まった。 しばらくの間何かと葛藤していた二人は、だが、決して逸らされないイルカの瞳に根負けしてくれたのだろう。 「・・・イルカが心変わりするまでじゃぞ」 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらも、念を押すようにそう言って、イルカがカカシの伴侶となる事を認めてくれた。 カカシの口数が少ない。 執務室を辞した後、家まで送ると言ってくれたカカシと共に、夕暮れに染まり始めた道を歩いていたイルカは、傍らを歩くカカシをそっと窺った。そんなイルカの視線にすぐに気付いたカカシが、カカシを窺うイルカへ深蒼の瞳を向ける。 「いいんですか・・・?」 真っ直ぐに向けられるカカシの視線に少しホッとするイルカが小さくそう訊ねてみると、その問いの主旨が分からなかったのだろう。銀髪を揺らすカカシが「ん?」と首を傾げて見せる。 「俺が心変わりする事なんてありません。俺なんかで本当にいいんですか・・・?」 イルカが心変わりするまで―――。 二人が伴侶となる事を認められた期間は、期限が決められているようで決められてはいない。 イルカが心変わりする事は決して無いからだ。 伴侶を続けるか続けないか。 カカシにその選択権は無く、イルカに一任されている事が少し気になった。 「・・・心変わりなんてされたら困っちゃいますよ」 本当にそれで良いのかと問うイルカに対し、しばらくして返って来たカカシのその答えは小さな苦笑を伴っていた。 「あの時・・・」 見つめるイルカからゆっくりと視線を逸らしたカカシが、深蒼の瞳を眩しそうに眇めながら、その視線を遠くへと馳せる。 カカシの視線の先にあるのは、里のどこからでも望む事が出来るあの崖だ。 「・・・あの崖から落ちそうになっていても、気を失っても。あなたは腕に抱いた子猫を決して離そうとしなかった」 深蒼の瞳を柔らかく細めながらそう告げたカカシが、ゆっくりと足を止め、同じく足を止めたイルカへと向き直る。 手甲に覆われたカカシの手がそっと伸び、そうして、大事そうに取られたのはイルカの手。 「・・・そんな心優しいあなたを、オレは今度こそ自分の手で守りたいんです。あの時は離れてしまったけれど、ようやく繋いだこの手をオレはもう離したくない」 イルカの瞳を真っ直ぐに見つめるカカシの深蒼の瞳がふと和らぎ、そうして告げられたその言葉は、カカシもまた心変わりする事は決して無いのだとイルカに教えてくれた。それを聞いたイルカの涙腺が緩んでいく。 浮かびそうになる涙を懸命に堪えながらイルカは思う。 あまり祝福はされないだろう二人の関係だ。これからも色んな事があるのだろう。けれど、手を離さないと言ってくれたカカシと一緒ならきっと乗り越えられる。 (・・・ずっと・・・) 出来れば一生涯、繋いだこの手を離さないでいて欲しい―――。 そう告げたいけれど、口を開けば泣いてしまいそうだ。 カカシの少し冷ややかな手をぎゅっと握り返すイルカが、その顔に懸命に笑みを浮かべて見せると、震える手と潤む瞳でイルカが泣きそうな事に気付いたのだろう。 「・・・イルカ先生」 小さく苦笑を浮かべるカカシの手甲に覆われた手がイルカの頬へと差し伸ばされ、愛おしそうに深蒼の瞳を眇めるカカシの冷ややかなその指先は、泣かないでと言うようにイルカの頬を優しく擽った。 |
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