情けは人の為ならず 2
2015年イル誕





美味そうな味噌汁の香りが惰眠を貪るイルカの鼻を擽る。
ふかふかの布団があまりにも心地良く、出来ればずっと眠っていたかったのだが、味噌汁の香りに誘われて睡眠欲よりも食欲の方が勝ったらしい。
ゆっくりと覚醒したイルカの視界にまず入ったのは、見慣れない部屋だった。
(あぁそうか・・・)
ここはどこだと一瞬戸惑ったが、見知らぬ部屋ではない。以前にも世話になったカカシの部屋だとすぐに思い出す。
次の瞬間。
「しまった・・・っ」
鼻を擽る味噌汁の香りで、自分が寝過ごしている事を知る。
包まっていた布団を跳ね除け、着の身着のままで昨夜教えてもらった台所へと慌てて向かってみると、掃除洗濯炊事をする事が居候の条件だというのに、家主のカカシが既に朝食を作ってくれていた。
「おはようございます寝過ごしましたすみません・・・っ」
どんな時でも挨拶は欠かさないイルカが一息に謝罪まで告げると、鍋に向かっていたカカシが軽く噴き出した。
「おはよ、イルカ先生」
優男は朝から優男らしい。くつくつと小さく笑いながら火を止めたカカシが、挨拶と共に爽やかな笑みを向けて来る。
その瞬間、イルカの頭を占めていたあれこれが全て吹き飛び、動きもピタリと止まった。
「昨夜は遅くまで荷物運びしてたから疲れたでしょ?今夜から作ってくれればイイですから気にしないで」
固まっているイルカを余所に、食器棚からお椀を二つ取り出すカカシがそう言ってくれていたが、イルカはそれどころではない。
「・・・カカシ先生」
「ん?」
里の重要機密とまで噂されていたカカシの素顔が今、イルカの目の前にある。
「顔、見えちゃってます」
最悪の場合、口封じの為に殺されるかもしれない。
内心そんな事を思いながら、恐る恐る顔を隠し忘れている事を指摘すると、それを聞いたカカシが「あぁ」と苦笑した。
「イイんですよ。ウチでは隠してませんから」
里長である火影すらカカシの素顔を見た事が無いという噂だったが、自分に見られるのは構わないのだろうか。
「はぁ」
カカシが良いと言うのなら良いのだろうと自分を納得させるイルカは、改めて目の前にあるカカシの端整な顔を観察する。
カカシがモテるのも頷ける。同じ男であるイルカでさえ溜息が出る程だ。
「しかし、良い男ですねぇ」
ほぅと感嘆の溜息と共に率直な感想を述べると、言われ慣れているだろうに照れたのだろうか。
「何言ってるの」
面映そうな表情を浮かべたカカシに「ホラ、顔を洗っておいで」と、台所から追い出されてしまった。
カカシが照れるとは思っていなかったからだろう。こちらまで照れ臭くなってしまった。
「顔洗おう」
誰に言うでもなくそう小さく呟いたイルカは、赤くなっている気がする顔を洗う為、洗面所へと向かった。




食卓には炊き立てのご飯に味噌汁、焼き鮭にほうれん草のお浸し。
おまけに卵焼きに漬物までが並び、カカシが作ってくれた朝食は朝からごちそうだった。
男の一人暮らしだと朝は適当に済ませがちだと思うのだが、カカシはいつもこんな朝食を食べているのだろうか。
「まさか。オレだっていつもは適当ですよ」
出汁の風味豊かな味噌汁に口を付けながら尋ねてみると、ふと苦笑したカカシからはそんな言葉が返って来た。
「今朝はイルカ先生が居たから特別です」
自分の為にこれだけ作ってくれたのだと知り、「ありがとうございます」と感謝の言葉を返すイルカの頬が僅かに染まる。
さすがは優男と言うべきか。女性ならばすぐさま堕ちるだろう会話術が、イルカ相手だというのに自然と出て来るのだから反応に困ってしまう。
(モテる男って凄ぇ)
長年恋人に恵まれていないイルカだ。ここに居る間に色々と勉強させて貰おうと思いながら、最後の一口を口の中に入れる。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
朝からこんなに美味しい朝食が食べられるなんて感謝の気持ちでいっぱいだ。目の前に座るカカシを拝むように手を合わせると、カカシもちょうど食べ終わったらしい。
「お粗末さまでした」
こちらも手を合わせたカカシと視線が合った。
「あぁ、そうだ」
イルカの顔を見て何やら思い出したらしいカカシがやおら立ち上がり、向かった自室から結構な厚みのある封筒を片手に戻って来る。
「コレ、食費です」
当たり前のように差し出され、イルカは慌てて「頂けません」と押し戻した。
「居候させて貰っている身なんですから、食費くらいは自分が出します」
これから世話になるのだ。家賃は支払えずとも食費くらいは出せると言ったのだが、カカシは封筒を受け取ってはくれなかった。
「お金が無いって分かってる人にお金を出させるワケにはいきませんよ」
「ですが・・・っ」
これ以上カカシに甘える訳にはいかないと渋るイルカを見て、カカシが苦笑と共に封筒を握らせて来る。
「イイから。ホラ、居候さんは家主の言う事を聞かないとダメでしょ?」
そこまで言われてしまうと、拒否し続ける方が失礼に当たる。
「・・・分かりました」
とりあえず預かるだけ預かろうと封筒を手に取ったイルカは、その厚みと重みを再認識し、いくら入っているのかと恐る恐る封筒の中を覗き込んだ。
途端、軽い眩暈に襲われる。
(数えたくねぇ)
さすが上忍と言うべきか、帯が付いたままの札束が入っている気がする。
カカシの金銭感覚はどうなっているのだろうか。
「これだけ頂いておきますね・・・」
そう言って今月分に必要だろう数枚だけを引き抜いたイルカは、残りは封筒ごとカカシへと返す。
「それだけでイイの?」
あまりの少なさに驚いたのだろう。深蒼の瞳を僅かに見開くカカシが「遠慮しなくてイイのに」と明後日な事を言って来たが、イルカにしてみれば、二人分の食費だとしても充分贅沢出来る金額である。
カカシはいったい今までどんな食生活を送ってきたのだろう。
少々気になったイルカが尋ねてみると、時間があれば今朝のように自炊するが、最近は忙しくて外食ばかりだという答えが返って来た。
「任務で食べられない場合が多かったりするんですけどね」
苦笑するカカシから続けられたその言葉を聞いて、カカシが多忙だと知っているイルカは納得をせざるを得ない。
忍は身体が資本だ。
カカシ程の忍ともなると食生活の管理もかなり重要となってくるが、多忙過ぎて外食や兵糧丸に頼りがちなのだろう。
里の誉れと謳われる程の人物の食生活を預かるのだ。責任重大だが、やりがいは物凄くある。
男の手料理だ。料亭のような品などは全く無いが、安くてそこそこ旨いメシなら提供出来る。
もちろん、今までのように適当では駄目だ。衛生や栄養面にも気を付けなければならないだろう。
「お金はこれで充分です。俺、頑張りますね」
カカシの為、引いては里の為。
拳を硬く握り締めるイルカは、まさにAランク任務を拝命したような心持ちだった。