情けは人の為ならず 4
2015年イル誕





カカシ宅に居候を始めて以降、イルカの朝は以前よりも一時間程早くなった。
二人分の朝食と、二人分の弁当を作る為だ。
居候を始めた当初、弁当作りは居候の条件に組み込まれていなかったのだが、イルカが自分の為の弁当を作っている際に、カカシが自分の分も作って欲しいと言って来たのだ。
一人分作るのも二人分作るのも手間は同じだ。
手抜き弁当でも良ければと答えると、充分だと笑みと共に返された。
時間が限られている為、それほど手の込んだ弁当は作れないが、栄養面には出来るだけ気を配っている。
今日も彩り良い弁当が出来たと自画自賛しながら、二人分の弁当に蓋をする。
続いて朝食の準備だと食器棚から二人分の食器を取り出していると、音で起こしてしまっただろうか。まだ寝ていて良いはずのカカシが現れた。
「おはようございます、カカシ先生」
「ん、おはよ」
昨夜のカカシにはAランク任務が入っていた。イルカは先に休ませて貰ったのだが、帰還は夜半を過ぎていたはず。
今日は上忍師としての任務が入っているが、出掛ける準備をするにはまだ早い時間だ。もう少し眠っておいた方が良いのではないだろうか。
「昨夜は遅かったんですよね?もう少し眠っておいた方が良いんじゃないですか?」
冷蔵庫から取り出した水を飲むカカシへとそう提案するも、「ううん」と首を振られてしまった。
「朝ご飯、イルカ先生と一緒に食べたいから」
さらっとそう言われ、こちらも出来るだけさらっと「そうですか」と返したつもりのイルカの頬が僅かに染まる。
カカシ宅に居候してもうだいぶ経つが、カカシのこういう優男発言には未だに慣れない。
男であるイルカに対して優男振りを遺憾なく発揮するカカシもカカシだが、それを嬉しいと思ってしまう自分も問題だ。
カカシに他意は無いのだから、さらっと流さなければならないのに、いちいち反応してしまう自分が恥ずかしい。
「今日の朝ご飯はなぁに?」
今日も動揺してしまったと内心唸るイルカを余所に、元凶のカカシはのんびりとしたものだ。悔しいなどというものではない。
「鯵の開きです」
動揺なんてしていない風を装いそう答えたイルカだが、その頬はほんのりと染まったままだった。





五月も終わりに近付き、待ちに待った給料日。
給料が入った袋を握り締めるイルカは、とある扉の前で呆然と立ち尽くしていた。
「・・・ない」
給料日という事は、借金の返済日でもある。
いつもなら借金取りのお兄さんが大挙して押し寄せて来るのだが、終業時刻になっても取りに来なかった為、真面目なイルカはこうして自らお届けにあがった訳なのだが、雑居ビルに入っていたはずの事務所が無い。看板どころか事務所の名前も、存在したという痕跡すら無い。
「どういうことだ・・・?」
「そこ、ガサが入ったんだよ」
訳が分からず混乱するイルカの背後。いくつも並ぶ扉の一つから顔を出した派手な女性が、親切にもそう教えてくれる。
「十日くらい前だったかな。違法営業してたんだってさ」
数人が捕縛され、当然ながら事務所は閉鎖という処分が下ったのだという。
教えてくれた女性に礼を言い、イルカは呆然としたまま雑居ビルを後にする。
借金はどうなるのだろうかというイルカの疑問には、帰宅した後、こちらも帰宅早々イルカから話を聞いたカカシが銀髪を掻きながら答えてくれた。
「例の男の素性を調べてみたんです」
「え?」
上忍は里の犯罪者リストが閲覧出来るらしい。もしやと思い調べてみたところ、男が余罪がいくつもある詐欺師だった事が分かったのだとカカシは言った。
さらに借金取りの方も調べてみると、里の許可を得ていなかった上に違法な貸し付けや取り立てを行っており、その事を里のしかるべき機関に通告したのだとも。
「イルカ先生の借金は無かった事になっているはずですよ」
カカシが喜ばしい事を言ってくれているのに素直に喜べない。
「俺、やっぱり騙されていたって事ですか・・・?」
そうなのだろうとは思っていたが、事実を突き付けられるとやはり辛い。イルカの問いを否定してくれないカカシを見て、イルカは深い深い溜息を吐く。
「・・・男の身柄は里が押さえていますが、会いますか?」
落ち込むイルカを気遣うように覗き込むカカシからそう問われたが、イルカはゆるりと首を振った。
「イイの?一発殴るって言ってたじゃない」
さすがは優男。交わした会話を良く覚えている。
「友達だと思っていたのは俺の方だけだったみたいですから」
苦笑するイルカがそう答えると、余程辛そうに見えたのだろうか。
「そんな顔しないで。オレがいるじゃないですか」
僅かに震えるイルカの手をそっと握るカカシから、そう励まされた。
「そうですね」
その点ではあの男に感謝だと、イルカは小さく笑みを浮かべて見せる。
今回の件で信頼していた友人を一人失ったが、そのおかげでカカシとは仲良くなれた。
階級差もあり、本来ならばこんなにも仲良くなれないだろう人物だ。
それに、カカシが力を貸してくれなければ、イルカは今頃どうなっていたか分からない。カカシは命の恩人だと言っても過言ではない。
感謝してもしきれないが、カカシはどうしてここまでイルカに良くしてくれるのだろう。
ふと疑問に思ったイルカがその事を尋ねてみると、カカシの視線が途端に泳いだ。握られていた手が離れて行く。
「カカシ先生?」
不思議に思ったイルカがカカシの名を呼ぶと、まるで悪戯が見つかった子供のようにカカシが身体を震わせた。
(まさか・・・・)
その反応を見たイルカは、『情けは人の為ならず』という言葉を思い出す。
まさかカカシまで自分を騙しているのだろうか。いや、自分を騙してもカカシに利点など無いはずだ。
ぐるぐると考えるイルカの前。ガシガシと銀髪を掻いたカカシがイルカに向き直る。
「今回の件が落ち着くまで言うつもりは無かったんですけど・・・」
そう前置きしたカカシが続けたのは、イルカが想像したどんな言葉にも一切当て嵌まらなかった。
「好きなんです」
「・・・はい?」
一瞬、カカシが何を言ったのか理解に苦しんだ。
「イルカ先生の事が好きなんです」
聞き間違えたのかもしれないと問い返したイルカに再度、カカシが理解に苦しむ言葉を告げて来る。
冗談か何かかと否定したかったが、出来なかった。カカシの逸らされる事の無い真剣な眼差しが、カカシの言葉が事実だと教えてくれたからだ。
(え、え・・・っ?)
いつからだとか、カカシならより取り見取りだろうに、自分のようなむさ苦しい男のどこを好きになったのかと困惑するイルカを見て、カカシがふと小さく苦笑する。
「オレの気持ちは迷惑?」
そう聞かれ、困惑はしているが迷惑だとは思っていないイルカは素直に首を振る。
すると、「良かった」と安堵したような溜息を吐いたカカシが、深蒼の瞳を柔らかく細めた。
「とりあえず明日、デートしましょうか」
「え・・・っ?」
デートという単語をカカシが自分相手に使うとは思ってもいなかったからだろう。驚いたイルカを見て、カカシがふと笑みを浮かべて見せる。
「明日はイルカ先生の誕生日でしょ?お祝いさせて下さい」
明日は元々、誕生日をカカシに祝って貰う予定が入っていたが、デートと言われたからだろうか。変に胸が高鳴ってしまう。
他の誰かと約束がある訳ではない。むしろ、カカシとの約束があるからと同僚の誘いを断ったくらいだ。
「ね?」
再度押して来るカカシに対し、恋愛事に疎いイルカが出来る事といったら、頷く事くらいしかなかった。